新年度が始まりました。あたりの山々は黄緑色に芽吹きはじめ、花々が咲き誇る日々もすぐそこです。春の陽気に包まれると、人は気持ちも穏やかに優しくなれるような気がします。
この陽ざしの中で、新しいことに出会い、新しい人に出会うのはウキウキしてきませんか?
♪〜手のひらを太陽に すかしてみれば まっかに流れる ぼくの血潮(ちしお)〜♪
思わず、手のひらを太陽に向けて・・・やってみたくなるような新しさに満ちた陽ざしです。
「手のひらを太陽に」 この歌詞を書かれたのは、やなせたかしさんです。
新年度に向けて、やなせたかしさんの絵本をお届けします。
ある くにの やがいどうぶつえんに みなしごの ライオンが いました。
いつも ぶるぶる ふるえていましたから なまえは ブルブル。
めすいぬの ムクムクが ライオンの おかあさんの かわりを することになりました。
ムクムクは ブルブルに こもりうたを うたって きかせました
ブルブル いいこね
ねむりなさい
ねむりなさい
ミルクを たくさん のみなさい
たくさん たくさん のみなさい
ブルブル いいこね
ねむりなさい
ムクムクは ブルブルに いろんな しつけを しました。
ブルブルは ムクムクに そだてられて やさしい ライオンになりました。
ブルブルは おかあさんよりも おおきくなって りっぱな ライオンになりました。
あるひ ブルブルは とかいの どうぶつえんに うつされることになったのです。
ブルブルとムクムクは はなればなれに なりました。
ブルブルは サーカスの にんきものに なっていました。
でも よるになると おもいだす ムクムクの こもりうた。
その よる とおくの ほうで あの なつかしい こもりうたが きいこえてきたのです。
おかあさんだ! ブルブルは おりをやぶって ものすごい ちからで とびだしました。
はしれ!ブルブル きんいろの かぜのように
はしれ!ブルブル ひかる やのように
はしれ!ブルブル たてがみを なびかせて はしれ! はしれ!
ライフルを もった けいかんたいが ライオンをおいかけます。
ブルブルは すっかり としをとって しにそうな ムクムクを みつけました。
「おかあさん こんどこそ はなれないで いっしょに くらそうね」
そのとき けいかんたいの たいちょうは「うて!」と めいれいしました。
うっては いけないのに ブルブルは とても やさしい ライオンなのに
ブルブルは ムクムクを しっかりと むねに だいて たおれていました。
その よるの こと としよりの いぬを せなかに のせた ライオンが とんでいくのを みたと いう ひとが なんにんも いました。
もう、NHKTV朝ドラ「あんぱん」が始まっていますね。やなせたかしさんと奥さんの、のぶさんがモデルのドラマです。もう、あちこちで、やなせさんの話題でいっぱいです。
この「やさしいライオン」は、1967年にやなせさんが手がけたラジオドラマが始まりだそうです。それを、やなせさんとの仕事で、その腕を絶賛した手塚治虫さんがポケットマネーでアニメ映画化したのだそうです。短編小説、紙芝居、等々でも描かれ、絵本として出版されたのは、初版は1975年、私の書店本棚にはいつも並んでいた絵本の一つです。
フレーベル館のサイトには、こんなエピソードが掲載されています。引用します。
〜このお話は、当時報道された2つの記事、
ドイツの動物園で犬がライオンを育てた記事と、サーカスの猛獣が逃げ出して射殺されてしまった記事をきっかけに描かれています。
なぜそこまでそのエピソードに入れ込み、制作を重ねたのか。
それは5才で父を失い、7才で母と別れ、叔父夫婦に引き取られたやなせ先生の生い立ちに起因するものでした。
種を超えた愛情で繋がるブルブルとムクムクの姿に、実母への思慕や、自分と養父母の姿を重ね合わせ、警官隊に撃たれたやさしいライオンの悲しいシーンでは、自身の戦争体験、最愛の弟を戦争で亡くした悲しみを込め、「熱涙」を流しながら描いたそうです。
先生は、この作品についてこう語っておられます。
「子どもの読み物として残酷すぎるのではないかといわれる方もいるかと思いますが、人生の悲痛については眼をそむけるべきではないと考えています。・・・私は愛と勇気について語りたかったのです。」〜
「やさしいライオン」がなかったら、アンパンマンもなかったと語られているのを聞いたことがあります。
絵本の巻末には「ブルブルの子守歌」の譜面もちゃんと、載っています。
多くの歌詞も手掛けられたやなせさんには、音楽も大きな支えだったのでしょう。
東日本大震災の折、「アンパンマンのマーチ」にも、リクエストが殺到しました。
やなせさんは、病の体をおして、支援を続けられました。
「おそれるな がんばるんだ 勇気の花がひらくとき ぼくが空をとんでいくから きっと君をたすけるから」
とメッセージを送られました。
アンパンマンのマーチの中には
「なんのためにうまれて なにをして生きるのか こたえられないなんて そんなのはいやだ!」
この歌詞も、心に刺さります。
私事ですが、昨年、古い段ボール箱の中から、私の名宛のやなせさんの挿絵の入った直筆色紙が見つかりました。
あったことも忘れていた色紙にびっくりして記憶をたどりました。
二十歳の大学生の頃のこと、直接お会いしてその場で描いて頂いたのだと思います。
まわりに人も多くなく、ゆったりとした時間だったように記憶しています。
きっと何かお話もさせて頂いたのだと、おぼろげながらですが、筆を走らせるやなせさんの横顔を思い出します。
「ほほえむことを 忘れちゃいけない すぎたことなど 夢とおなじさ」1974・2・10
50年前の言葉なのに色褪せることなく、永遠の言葉のように、今も語りかけてくれます。
(赤鬼こと山ア祐美子)
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年々暖冬とは言われながら、今冬は大雪に見舞われた地域も多くありました。こんなに多い雪は初めてだというニュースも度々聞かれ、雪下ろし等で命を奪われた方々もいました。気候は確実に不確かなものに変化しています。これは、日本だけのことではなく世界中が差し迫った不順を享受しています。3月の声を聞くと、待ち遠しい春ですが、やはり、この日を覚えます。2011・3・11 東日本を襲った大震災、津波、原発事故 その日から1年が
過ぎた頃、被災した子どもたちの生の声を伝えた絵本です。
私たちは、東日本大震災・福島第一原子力発電所の事故により被災した福島の子どもたちが、自分たちの力で未来に向かって生きていくのを応援するために、この出版プロジェクトを立ち上げました。プロジェクトの中心は、かけがえのない生命、その尊さを語り継ぐ福島の子どもたち。そして、ボランティアで参加いただいた画家、絵本作家の方々です。福島の子どもたちが、被災の体験を作文にし、画家、絵本作家の方々が、子どもたちの作文から受けた想いを、絵に表しました。福島の子どもたちの体験を多くの方々と共有し、かけがえのないものとするために、それぞれの想いをつむいだこの本を、多くの言語に翻訳し、世界中の人々に届けることも考えています。本書の売り上げの一部は、福島の子どもたちが「新しい福島」『うつくしま』を創っていくための基金とします。子どもたちが自分たちで作りだす、自分たちのための基金です。子どもたちが、それぞれの自分の体験を見つめ、言葉にする。そこから、これからを生きる福島の子どもたちの第一歩がふみだされることを願っています。
NPO法人元気になろう福島 理事長 根本二郎
「浜ばあちゃんと私」 新地町立福田小学校4年 荒 美祐
「地しんのあった日」 大熊町立熊町小学校2年 油井 紅音
「東日本大震災」 伊達市立富成小学校4年 菅野 亜実
「大きかった地しん」 福島市・あづま総合運動公園避難所にて 荒木 咲嬉
「ありがとう」 郡山市立赤木小学校6年 村上 澪奈
「恐ろしい大地震」 郡山市立赤木小学校4年 高野 葉月
「ひなんをして」 大熊町立大熊小学校3年 寺内 りほ
「大きなじしん」 伊達市立富成小学校2年 さとう ゆら
「あの日からのさけび声」郡山市立赤木小学校6年 小林 奈々
大きな悪魔がいかりだす
どこからともなく
助けを求めるさけび声
心がやみに包まれる
悪魔が私達を
おいこんでいく
「消えてほしい」
「なんで私達がこんな目に」
「助けてください」
「悪魔なんていなくなれ」
いかり苦しみ にくしみさびしさ
洪水のようにあふれだす
あふれる思い 届いてほしい
世界中の人達に
「あぶない!」 新地町立福田小学校4年 三瓶 泰輝
「原発のえいきょうでのひなん」 郡山市立芳山小学校3年 古川 裕貴
「無題」 新地町立福田小学校4年 門馬 巧
「聞けない」 郡山市立赤木小学校6年 金子 健
どうしてだれもこないのか
ぼくはなんにも悪くない
ぼくは病気? 病気じゃない?
みんなあいつのせいなんだ
ブランコゆれた、気のせいか
風が笑って過ぎてった
子どもの声はもう聞けない
子どもの声はもう聞けない
「3月11日東日本大震災」 南相馬市立石神第二小学校6年 菅野 莉奈
「こわかった、あの日」 いわき市立上遠野小学校3年 松田 結愛
あの日から14年がたちました。この作文を書いた子どもたちも、すっかり大人になっていることでしょう。どんな日々を過ごしてきたでしょうか。きっと寄り添う人々に巡り合えて、前を向いて、新たな人生を豊かに歩んでいるだろうと、信じています。この場では、
特に心に残った2作品「あの日からのさけび声」、「聞けない」を紹介しました。
地震、津波による被害からは、少しずつ復興しつつある様子ですが、原発事故被害からは未解決のままです。小学生だった子どもたちが、悪魔とよんだもの、みんなあいつのせいなんだと、書いたものは未だに残されたままです。福島だけで受け止めるものではなく、全世界が抱えていく問題です。この子どもだった頃の言葉が世界中の人びとへ届きますように。
(赤鬼こと山ア祐美子)
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待ちに待ったこの季節がやってきました。日本中の鬼たちも落ち着かない気分でいるのかもしれません。鬼と言えば、どんな姿を想像しますか?赤鬼、青鬼、緑鬼、黄鬼、黒鬼、色の違いばかりではありません。恐ろしいばかりでもないのです。優しい鬼、食いしん坊の鬼、料理上手な鬼、泣き虫な鬼、弱虫の鬼、鬼のサラリーマン?だっているんです。
今年は、なんと「なぞかけ」が大好きな鬼のおはなしです。
むかし、みさきの東と西に、まずしいふたつの村があった。とびきりまずしいわけは、毎年千びきの鬼が、海らからかけのぼってきては、村を襲うせいだ。なかでも、鬼のかしらは なぞかけがすきで、 ナナンゾ ナンゾ なぞいくぞォ と、わめきたてながら、村をめちゃめちゃにしてしまう。村のもんは、鬼のなぞなんかとけるはずもない。村人たちは、いえのなかにとじこもって小さくなっているしかなかった。東の村では、子どもは八つになると、とうげをこえて、おく山へおっぱらわれることになっていた。くちべらしをしなければ、みんなうえじにするからだ。
二太が八つになると、おとうがいった。「あにの一太もげんきにそだって、あとつぎができた。おまえもおいてやりたいが、もうじき鬼がくる。村のきまりどおり、とうげをこえてくれるかえ」のんきものの二太は、まあるいかおを こっくりさせた。「うん、いくで」そこで、おとうとおかあは 二太にだけ、とびきりのごちそうをした。二太はたらふくくって、つぎの日いえをでた。「このみちは、どんなことがあってもひきかえすことはならんぞ。西の村へおりていくこともならん。けんかばかりしているやつらに、ぶっころされるからな」とおとうがいった。おかあはなみだごえで「鬼さえこなけりゃ、ひとつのいえでおやこいっしょにくらせたのになあ」「おらのことなら、しんぱいないよ」二太はそういって、坂道をおりた。「はあ、おらもひとつだけ おやこうこうをしたわけだなあ」と 涙をふいた。
もこもこと深い山のほうへ歩いていくと、女の子がひとりひざをかかえてすわっている。東の村のタエは「あたいね、きのう山へおっぱらわれたの」ぽろっと 涙をこぼした。あにによめさがくるようになって、くっていけないから山へいけといわれた。山には食べものがわんさとある。川が流れ、美しい花がさいている。あそんでおればよい。といわれてとうげまできた。「山へはいれば、うえじにするだけや」ふたりは、坂をおりて、あっちへうろうろこっちへうろうろ、おいてくれそうな家をさがしたが、「なにぬかす。こっちがくわしてほしいくらいじゃ」だれもあいてにしない。まずしいのは、この村も同じことで、子どもの姿などまるでみえない。仕方がないので、村はずれの岩に座り込んだ。
「あしたはあらしがきそうやなあ」二太はのんびりと はなくそをほじった。
「鬼がくるの」タエは ぶるっとした。「うん、くるらしい」ふたりは、西の村のしょうやさまのいえをさがした。「がきども、とめてやる。たべものもやる。そのかわり、あしたになれば 鬼がくる。おまえらふたりは 鬼のところへつかいにいくか」「つかい?」「ンじゃ」「いやか」「いややけども―」二太の腹がクウとないた。「いややけども、しゃあないな」鬼はなぞかけがすきなもんで、きっと海から がなりたててやってくる。ふたりは、まちうけていて、鬼のなぞをとくのだという。しょうやさまは、にわかにえびすがおになった。
むずかしい鬼のなぞが、とけるはずがないのは わかっている。おとなにできないものが、子どもにやれるはずがない。そのかわりに、ふたりの子どもを鬼にさしあげようというわけだ。そこで、ふたりはたべものをもらって、こやのすみで小さくなってねむった。
「さあ、いくか」村はずれまで来て、しょうやさまは 二人を大きな岩の上に押し上げた。やがて、千びきの鬼が、おきをはしって、ひたひたとやってくるのがみえはじめた。どこからか、うすきみのわるい声がきこえた。ナナンゾ ナンゾ なぞいくぞォ
「きたっ」ふたりは つばをのみこみ マツの木にしがみついた。
鬼のかしらは白い髪をなびかせながら、たちあがった。「やーい、子ども。なぞをとくかあ」
「とくとも。なぞはなんじゃ」そのとたん、鬼はよろこんで はしゃぎまわった。
「しくじったときは、さらっていくぞォ」「いいわよ、あたいら かえるとこがないんだもん。」タエは、りょうてをにぎりしめ、かなきりごえをあげた。鬼はふしぎそうに「そりゃ、またなぜじゃ」「おまえが村をあらすからな、村がびんぼうなんよ。子どもらは山にすてられるんよ」「そりゃ、しらなんだ」鬼どもは、ちょっとのあいだ しんとした。
「よーし、なぞをとけば、ほかの村にいってやる。わしは、めったとまけはせんぞォ」
二太がこたえた。「えーい。なぞ、こーい」「おきから、ふえふいてくるもの、なーに」
「へん、やさしいや」「こたえろ」鬼のおこったこえが、きこえた。
「かぜ、かーぜ」そのとたん 鬼はなみのそこにしずんで、かくれた。
タエがさけんだ。「やーい、おに。こっちも なぞいくよ。これがとけなんだら、西の村にも 東の村にも くることはならんが、ええかあ」
「ええわい。やくそくするぞ。なぞ、こーい」むねから上をのり出した鬼が、そうこたえた。
こうして、タエと二太と鬼のかしらとの、なぞかけあいが続きました。
さてさて、ふたりは、鬼のなぞかけをとくことができたのでしょうか・・・・・
2月が近づくと、なんとなくそわそわしてしまいます。鬼の絵本は、毎年新しいものも出てきますし、探すのもワクワクします。とはいえ、今年の鬼は、とても古くからある絵本にしました。表紙の鬼の絵に見入ってしまうからです。以前お伝えした「鬼の子こづな」も斎藤さんの作品です。他にも鬼の絵本があり、多種多様な鬼の姿が現れます。墨絵に色を刺す技法が多いですが、独特の世界観があります。温かみのある墨の流れと、染み出した色使いが、鬼の表情を豊かにしています。今回の鬼も恐ろし気の中に思慮深さも感じます。話は創作ですが、口減らしなど貧しさを憂う風習をも語られています。鬼が思いを寄せる部分が重く伝わってきます。なぞかけが好きな鬼なんて、ちょっとあってみたくなりますね。絵本としては長文ですので、ここでは省略してお伝えしています。ぜひ手に取って読んでください。
(赤鬼こと山ア祐美子)
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