学校法人
認定こども園 聖愛幼稚園

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Last Update: 24/07/13

赤鬼からの手紙・・・1978年から1981年までのたった3年間、甲府の中心地に児童書専門店『赤鬼』と いう小さな本屋さんがありました。当時は希少な絵本中心の児童書専門ということで、地元山梨のみならず 全国にファンが広がっていた素敵な本屋さんでした。その後、一男二女の母となった赤鬼は子育ての大事業を 志し、後に東京都練馬区教育委員会の教育委員を務める等、常に母親の立場から目覚ましい活躍をしてきました。 今も文部科学省委託事業『新教育システム開発プログラム』作成に参画して日本国中を東奔西走しています。 赤鬼と小学校以来の幼馴染の私は、3年ほど前から故郷山梨の子どもたちのために絵本の紹介を 書いてくれるようお願いしてきました。やっとこの2007年5月から毎月お手紙をもらえることになりました。 赤鬼おススメの絵本は、聖愛幼稚園の子育て支援センター『あんぱんくらぶ』の本棚でいつでもご覧いただけます。 なんたって『赤鬼からの手紙』です。どうぞ、お楽しみに。(園長 鈴木)




赤鬼からの手紙(2024年7月号)



『ふしぎなともだち』

たじまゆきひこ さく

公文出版 刊

   夏本番です。入道雲はもくもく立ち上がり、ひまわりも笑顔で咲き誇ります。 元気いっぱいの子どもたちの声が聞こえてきそうな夏休みも待っています。 コロナで明け暮れた4年間でした。 まだまだ、完全に退治されたわけではありませんが、様々なイベントも復活しています。 今夏は待ちに待った日々になりそうです。 何をしようかと迷ってしまいそうなワクワクした夏、新しい出会いもあるかもしれませんね。 新しい友達にも出会えるかもしれません。 友達って、どんな存在でしょうか。ちょっと、考えてみませんか?

ぼくは、おおたゆうすけ。2年生の冬休みに この しまへ ひっこしてきた。
はじめての とうこう日。どんな ともだちが できるかな。
「れいぞうこ かってに あけたら あかん
 れいぞうこ かってに あけたら あかん」
しぎょう式の日、ひとりごとを いってる 子がいて びっくりした。
だれも 気にしていない ことにも びっくりした。
みんなから やっくんと よばれていた。
「がいこつ こちょこちょ。がいこつ こちょこちょ。」
「3年生に なったから、おおたくんも やっくんの ことを 見てあげてね。
やっくんは 自閉症と いう しょうがいがあって、おはなしするのが にがてなの。」
「かみさまの とけいが ボンボン なった。かみさまの とけいが ボンボン なった。」
いつまでも ぶらんこをやめない やっくんに、ぼくは いらいらした。
「教室へ かえろうよ!」やっくんを ひっぱったら、
「ぎゃあぁー」と ものすごい 声を あげて はしりだした。
やっくんの お母さんも はしった。やっくんは まっすぐ まっすぐ・・・・。 海へ・・・・
「この子が なにを かんがえているのか、わからないの。これから おおきくなったら どうなるんだろ!」海の中で、やっくんと お母さんが 大きな 声をあげて ないている。

みんなは、やっくんがいけないことをしたら、やさしく おしえている。
大声をだしているときは、おちつくまで まつ。
やっくんを みんなの 中へ つつみこんでるようだ。
6年生を 送る会。うちだ先生は、「・・・・やっくんも、しっかりされて、いい子にせいちょうされ・・・・・・」先生は 声を つまらせた。
そこへ やっくんが とびだしてきて、先生の 手を にぎった。
「うちだ はなこ先生 はい おしまい。うちだ はなこ先生 はい おしまい。」
やっくんの お母さんとお父さんも ないていた。
中学校の入学式 やっくんは、やっぱり きんちょうして 大きな声で さけびだした。
先生がとんできたが、みんなで 先生を とめた。ぼくたちは、むりに とめるともっとたいへんなことになるのを しっていた。

やっくんは とけいが だいすき。ひとりごとを いうことで、やっくんは 自分のきもちを おちつかせる。「やっくん しずかに しなさい。やっくん しずかに しなさい。」
ひとりごとも、やっくんの ふくさようの ない くすりだ。
3年生に いじめられている やっくんに であった。ぼくは おもわず 3人に とびかかった。「いい子ぶるなよ ばーか」3人は じてんしゃで はしりさった。
「おおた ゆうすけくん ありがとう。おおた ゆうすけくん ありがとう」
「ありがとう いうたな。ありがとう いうたな」
ひとりごと いいながら かえっていった。

ぼくたちは おとなになって、この しまで はたらきはじめた。
やっくんは メールびんの はいたつ。 ぼくは ゆうびん局に つとめることになった。
その日は 風がつよかった。バイクのはこから てがみが とんでいった。田んぼの中を、どろにまみれて さがしまわった。どろのついた ふうとうを なきながら ふいた。
みんなから どなりつけられて、なさけなかった。そとへ どびだしたら、
「おおた ゆうすけくん はい おしまい。おおた ゆうすけくん はい おしまい」
やっくんが、いつのまにか ぼくの うしろに いた。

ことばで はなしが できないのに、こころが わかりあえる。
やっくんは ぼくの ふしぎな ともだち。

   「じごくのそうべえ」の田島征彦さんが描かれた作品です。 この絵本ができる過程を語られた田島さんのTV番組を見たことがあります。 海、山、あらゆる豊かな自然の淡路島で暮らす田島さん。 そのご自身の回りで起こった事柄を丁寧に、聞き取り、調べあげて、多くの人の関わりの中で、やっと形にしていった作品です。 『自閉症』という言葉を、まっすぐに絵本の作品に仕上げて届けているものは、そんなに多くはないと思います。 特に田島さんの絵本は、”友だち”の視点で描かれ、互いを知ることの意味合いや深さを伝えてくれます。 私たちが普段使っている”友だち”には、こんなにも豊かで繊細で細やかで温かな想いがあるのだということを、改めて気づかせてくれます。

   絵本に添付された文書には、自閉症のわが子を持つ母の明石洋子さんの言葉があります。
〜はじめて絵本を読んだ時、まるで自閉症の我が息子を見ているようで、驚きました〜 と。
絵本によせる、田島さんと明石さんのお話も合わせて読んでいただけたら、絵本の意図、絵本ができるまでの工程や、絵本の持つ広がり、力のようなものが伝わります。

(赤鬼こと山ア祐美子)

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赤鬼からの手紙(2024年6月号)



『 せんたくかあちゃん 』

さとうわきこ さく・え
福音館書店 刊


   山の緑はどんどん濃くなってきました。花々も季節の変わり目を知っています。 初夏から本格的な夏を迎える準備が始まります。 あたりの田んぼは実りの秋を目指して、田植えもすっかり終わっていることでしょう。 いよいよ蛙たちの大合唱も、より賑やかになりますね。
南の方ではすでに、梅雨に入っているところもありますから、梅雨の合間にたまった大きな洗濯物を一気に済ませることも大切な空模様です。 雷さまが、空の上から今か今かとまちかまえていそうですからね・・・あらっ、じゃぶじゃぶじゃぶ!勢いのある水音が聞こえてきましたよ〜

せんたくの だいの だいの だいすきな かあちゃんが いました。
「きょうも いいてんきだねえ」
かあちゃんは うちじゅうの ズボンも チョッキも くつしたも パンツも シーツもまくらカバーも、みんな たらいに ほうりこみました。

「なにか あらうものを さがしといで」
こどもたちが みまわすと、ねこが みつかりました。

ねこは いぬのよこを はしりながら 「たいへんだ、せんたくされちゃうぞ」
いぬも とりたちも げたばこの げたや くつや かさも、みんな にげだしました。

かあちゃんは、それを みて おおごえで さけびました。
「とまれ!」
かあちゃんは みんなを たらいに ほおりこんで ごしごし ごしごし
あっというまに あらってしまいました。
せんたくが おわると かあちゃんは にわのきから もりのきにも なわを はりました。こどもたちも みんな ほして、せんたくばさみで とめました。

そのころ、そらの かみなりさまの くもが うごきはじめました。
「すげえ すげえ へそが いっぱい ほしてあるぞ」

ピカッ バリ バリ バリッ と かみなりさまが おちてきました。

へそをとりにきた という かみなりさまに かあちゃんは かんかんになって
「ほんとに なまいきな かみなりだよ」と、いうと、かみなりさまの くびを つかんで
たらいのなかに ほうりこみました。

「やれやれ、ほんとに きたない かみなりだったね。あれ、まあ!」

せんたくかあちゃんに すっかり あらわれてしまった かみなりさま・・・
さてさて、どうなりますことやら・・・

   3月28日 絵本作家 さとうわきこさんが 亡くなってしまいました。89歳でした。 大好き大好きな絵本でした。1987年「いそがしいよる」から「ばばばあちゃん」シリーズ 「せんたくかあちゃん」シリーズ 「とりかえっこ」 「ねえ、おきて」、数えだしたらきりがありません。とくに、ばばばあちゃんは、本当にこんな、ばあちゃんになりたいものだと、読むたびに憧れていれました。そんな、さとうさんのたくさんの作品の中から、 今回は、『せんたくかあちゃん』を選びました。 それは、さとうさんが語るこんな文章に出会ったからです。

〜〜〜「せんたくかあちゃん」のモデルは、私の母なんです。 私が10歳のとき、新聞記者だった父が結核で亡くなり、母は下宿生の世話などをしながら、姉と私を育ててくれました。 戦後の時代とも重なり、きっと大変なことが多かったと思います。 でも、母はとてもたくましい女性でした。 お金がなかったり、食べるものに苦労したりしても、「なんとかしてやろう」というパワーが全身からあふれていて。 体格は決して大きくないんだけれど、背中からその強さを感じさせるような人でした。 幼心にも、「ぜったいにへこたれない人だ」と感じていました。 私は高校を卒業したあと、デザイン会社などに就職し、その後はご縁があってイラストの仕事もしていました。 「いつかは絵本の仕事ができたらいいな」と思っていたので、子ども時代の思い出を掘り起こすように物語を考えていました。 そのとき、母のことが頭に浮かび、思いついたんです。 あのブルーのワンピースも、前掛けも、母がよく身につけていたものを思いだして描きました。〜〜〜

   そうだったんですね、”せんたくかあちゃん”は、さとうさんのお母様だったんですね。初めて知りました。きっと、あのパワフルな「ばばばあちゃん」の中にも、さとうさんご自身のお母様が潜んでいらっしゃるんですね。 そして、そのお母様の血をうけた、さとうさんは"ばばばあちゃん"そのものでした。

   さとうわきこさんの絵本を読むと、目の前の子どもたちの心の奥底が見えてくるような気がするのです。いつも前向きなパワーがむくむくと湧き出てきて、前に進むことに怖れない気持ちになるのです。心底元気をくれるのです。へこたれない気持ちになるのです。私自身も、あの、ばばばあちゃんに、どれだけ助けられたかしれません。まだまだ、新しい作品に出会いたかった、本当に残念でなりません。これからもずっと、さとうわきこワールドに浸かりながら、絵本の宝を伝えていきたいと思います。

(赤鬼こと山ア祐美子)

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赤鬼からの手紙(2024年5月号)



『あ さ い ち』

え 大石可久也
かたり 輪島・朝市のひとびと
福音館書店 刊

   桜も散り、あたりは眩しい緑がいっぱいの季節になりました。 鯉のぼりの鯉たちも空高く元気に泳いでいます。 新しいことも次々に訪れてワクワクすることがたくさん待っているのも芽吹きの日々のはじまりです。 そんな中、元旦に起こった能登半島地震の衝撃はまだまだ脳裏に深く刻まれています。 季節の巡る速さとは逆に、遅々と進まない復興の現実も伝わってきます。 あの活気ある輪島の朝市通りを、もう一度伝えることが、忘れないことが、復興の一つの力にも繋がるのではないかと願い、「あさいち」をお届けします。

おらたちの うみや。
あれがななつじま、あっちが へぐらじま。
とうちゃんと あんちゃんの ふねが けえってくる。
そこびきあみで、ずわいがに ふり、たらに たこを いっぺえ とってな。

おらちの はたけは ゆきのした。みずなも ねぎも ゆきをかきわけて ほる。
あしのさきから ちびてえぞ。

うみのもんは うみで とれたものを、やまのもんは やまで とれたものを、
リヤカーに つんで、にどらに しょって まちまで はこぶ。

 ふでさん おはようさん。あれ のぶちゃん、けさも さむいねえ。

あさいちどおりは みせが ぼちぼち ならんどる。まいにち みせをだずばしょは きまっとる。
ビニールいちまい ひろげただけの みせもある。ぼうで くんで、テントをはったみせもある。
みんな まずは みちの ゆきかきから。 

こうてくだー。あかがれい いらんけ。こもちやぞ。
こうてくだ、こうてくだ。ぶりと かにと たこと いか。とれたてやぞ。
ふぐ いらんけ。まふぐ、さめふぐ、きんふぐ、どくの つよいほど うまいげね。
あずき どうえ。  ほんとの じねんじょやぞ。   はなは どうですか。
まけとくさけ こうてくだし。かおり まつたけ、あじ しめじ。しめじは いらんけー。
みずなでも ねぎでも いらんけ。ゆきのしたから とってきたげね。

かいそう、こぬかいわし、いかのしおから、つるしがき・・・・
  どらやき いらんけー。もう こんだけしか のこっとらんぞー。
  しまいもんやさけ おおまけに まけとくわ。
  こうてくだー。

   2024年4月1日「あさいち」が復刊されました。 初版は1980年1月1日 「かがくのとも」発行とあります。その44年後の1月1日に地震による大火災で朝市通りが焼失してしまうなどと、誰も想像もできないことです。

   この絵本は記憶がありました。そうだ!と思い、地震後に自宅の書棚の「かがくのとも」の中を探しましたが、見つかりませんでした。でも、今回復刊されて、出会うことが出来ました。あの懐かしい輪島の「あさいち」が絵本の中から飛び出してきます。

   金沢に友人がいます。あの日すぐに連絡を入れました。幸い住宅などにも被害はなく無事であったものの、ライフラインが壊滅的であったので、道路の寸断などで親の施設に行くのに困難な状況や、水道管復旧が遅れ、日常の給水にも難儀なことを聞きました。そして、 輪島の朝市通りの惨状を思い、お互いに心を痛めました。

   思い起こせば、大学生の頃、朝市通りに行ったことがありました。あまりに愉しくて舞い上がってしまって・・・財布を落としてしまったのです。泣きそうになりながら、通りを行ったり来たりして、探し回りました。そんな記憶の中に、当時の朝市のじいちゃん、ばあちゃんたちが心配して、かけてくれた言葉が今も鮮やかに蘇ります。

   ここでは、ほんの少ししかお伝えしていませんが、ぜひ手に取って見ていただきたいと思います。あの日TVニュース画面に映る真っ黒こげになってしまった朝市通りには、どんな人々がどんな風に生きておられたのかが、目の前に浮かぶように見えてきます。人々の息遣いや空気感、手のひらの温かさ、潮の香、風の音、雪の冷たさまで伝わってきます。

   最後のページの絵の中に「塩徳屋漆器店」の看板があります。このお店は、実際の老舗の輪島塗の店です。NHK朝ドラ「まれ」の中にも出ています。主人公を演じた、「土屋太鳳」さんをイメージした輪島塗のペンダントも制作され話題になりました。残念ながら、今回の震災で、「塩徳屋漆器店」も焼失してしまいました。でも、三代目さんは命を奪われることはありませませんでした。生き残った意味を考えながら、前を見て進むと語られています。 この絵本の利益は、令和6年能登半島震災義援金として、日本赤十字社に寄付されます。

(赤鬼こと山ア祐美子)

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