学校法人
認定こども園 聖愛幼稚園

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Last Update: 17/11/02

赤鬼からの手紙・・・1978年から1981年までのたった3年間、甲府の中心地に児童書専門店『赤鬼』と いう小さな本屋さんがありました。当時は希少な絵本中心の児童書専門ということで、地元山梨のみならず 全国にファンが広がっていた素敵な本屋さんでした。その後、一男二女の母となった赤鬼は子育ての大事業を 志し、後に東京都練馬区教育委員会の教育委員を務める等、常に母親の立場から目覚ましい活躍をしてきました。 今も文部科学省委託事業『新教育システム開発プログラム』作成に参画して日本国中を東奔西走しています。 赤鬼と小学校以来の幼馴染の私は、3年ほど前から故郷山梨の子どもたちのために絵本の紹介を 書いてくれるようお願いしてきました。やっとこの2007年5月から毎月お手紙をもらえることになりました。 赤鬼おススメの絵本は、聖愛幼稚園の子育て支援センター『あんぱんくらぶ』の本棚でいつでもご覧いただけます。 なんたって『赤鬼からの手紙』です。どうぞ、お楽しみに。(園長 鈴木)




赤鬼からの手紙(2017年11月号)



『きみがしらない ひみつの三人』

ヘルメ・ハイネ 作・絵
天沼春樹 訳

徳間書店

   今年もあと2か月になりました。あたりの空気も日ごとに、秋から初冬の装いになってきています。美しく模様替えした山々も、あっという間に丸裸になってしまいそうです。とはいえ、1年で一番美しい季節には、家族や友人と一緒に公園へ散歩に行ったり、野山を散策したり、旅に出るのもいいですね。きっといい時間がたくさん詰まってきます。そんな時は、頭も心もお腹も一度にいっぱいになりませんか?どうも、私たちの体の中には、こんな3人が、もともと住んでいるらしいのです。

きみが 生まれた日、三人のともだちは やってきた。
アタマはかせとハートおばさんといぶくろおじさん。
アタマはかせは きみが みたり きいたり くんくんしたりして かんじることを カードにかきとめて いつでもおもいだせるようにする。きみが おばけの夢をみたりするのは、はかせが カードをまちがえたとき。
ハートおばさんは きみの心に わいてくるいろんなきもちの せわをしてくれる。びしょびしょのときは かわかしてくれるし、こわれたときは のりでなおしてくれる。だれかをすきになったときのために きみのきもちを だいじにしまっておいてくれる。
いぶくろおじさんは うでききのコック。きみがたべたものをぜんぶ もういちど 料理してくれる。冷たいのみものは あたためてくれるし、熱いものは さましてくれる。
なかのいい三人がけんかすると、きみはびょうきになってしまうんだ。おいしゃさんは なかなおりするように クスリや注射でたすけてくれる。すると 3人はなかよくなって きみも元気になるんだ。
三人のともだちは ずっと きみといっしょだよ。きみが この世から さよならする日まで。きみが しんだ日に、三人は ばらばらになる。そして、三人のすることは・・・

   ”ほんとにいるの?”って、子供たちから聞かれたら、”きっとね!”と答えます。 生まれた時の喜びを伝える絵本はたくさんありますが、こんな風に人が生まれてから死ぬまでの心身の流れを描く作品はあまりないように思います。

   ヘルメ・ハイネの名は、「トマニ式の生き方」の絵で思い出しました。1978年の作品で、CBS/SONYから出されたものでした。星新一さんの翻訳ということもあり話題になりました。とても不思議な内容ですが、ハイネの絵はその雰囲気をうまく表していたように思います。「トマニ式の生き方」の絵も印象的でしたが、今回はハイネがお話も作っています。文章は詩的な穏やかさで、こちらに語りかけてくるようです。そのたたずまいが彼の絵と相まって独特の世界を作り出しています。

   人は生まれてから死ぬまでの一生の中で、自分の中で何が起きているのか、何が助けてくれているのか、一見難しいような哲学的な内容をハイネの言葉と絵は端的に、優しく、温かく見せてくれているようにも感じます。誕生の喜びと共にやってくる3人は、様々に多くの働きをしてくれますが、ケンカすることもあるし、へこたれることもあります。そんな時は、3人の状態をよくわかっていてくれるお医者様に寄り添って、仲良くなってくれるのをじっと待つのですね。

   人は頭と心と体のバランスが取れている状態が一番幸福なのでしょう。この絵本でその幸福感も味わうことが出来ます。見送る人がいた時は、その人の友人であった、この3人が役目を終えたのだなって思います。悲しいけれど、そう思えると、その方の人生が豊かに全うされたようにさえ感じます。

あなたの今は、誰が一番働いていますか?
アタマはかせはですか?いぶくろおじさんですか?
それとも、やっぱり、ハートおばさんでしょうか・・・

(赤鬼こと山ア祐美子)

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赤鬼からの手紙(2017年10月号)



『月夜のでんしんばしら』

作  宮沢賢治
絵  竹内通雅
ミキハウスの絵本

   今夏は雨模様の日が続きました。ぐんぐん伸びあがる入道雲を見る間もなく、あたり一面ウロコ雲に似た空を見かけるようになってきました。夕方には虫たちの声の大合唱がにぎやかですが、耳を澄ますと、鳴きそびれてしまったような蝉の声も聞こえてきます。今年は季節の移り変わりも感じにくくなっているような気がします。とはいえ、やっぱり吹き渡る風の気配は、秋のにおいを少しずつ運んできてくれました。澄み切った夕焼け空がだんだん暮れてくると、群青色の闇にきれいな月が輝いてきます。こんな月の光の中では、いろんな不思議なことが起こるようです。皆さんはこんな電信柱を見たことがあるでしょうか・・・

 ある晩、恭一は鉄道線路の横の平らなところを歩いていました。ほんとは、こんなことをしてはいけません。汽車が来たらたいへんです。ところがその晩は、みまわりの工夫も汽車にもあいませんでした。そのかわり、実にへんてこなものを見たのです。
 月が空にかかり、うろこ雲が空いっぱいでした。恭一がすたすた歩いて、停車場の灯りが見えるところまで来ると、とつぜん右手のシグナル柱が、がたんと白い横木をななめ下のほうへぶらさげました。これはべつだん不思議でもなんでもありません。ところがそのつぎが大変なのです。さっきから線路の左側でぐわあん、ぐわあんとうなっていた電信柱の列が大威張りでいっぺんに北の方へ歩き出しました。うなりもだんだん高くなって・・・
「ドッテテドッテテ、ドッテテド、でんしんばしらのぐんたいは
はやさせかいにたぐいなし。
ドッテテドッテテ、ドッテテド、でんしんばしらのぐんたいは
きりつせかいにならびなし。」
電信柱たちの話し声も聞こえてきました。
「おい、はやくあるけ。はりがねがたるむじゃないか」
「もうつかれてあるけない。あしさきが腐り出したんだ。長靴のタールもなにももめちゃくちゃになってるんだ。」
「はやくあるけ。きさまらのうち、どっちかが参っても一万五千人みんな責任があるんだぞ。あるけったら。」
つぎからつぎと電信柱がどんどんやって来ます。
すると柱たちの声に混じって、遠くから「お一二、お一二、」と、しわがれた声がきこえてきました。恭一はびっくりして顔を上げると、電信柱の列に号令をかけていた黄色い顔のじいさんは、がたがたふるえている恭一に
「おれは電気総長だよ。電気の大将ということだ。」といいました。
「大将ならずいぶんおもしろいでしょう。」恭一がそう、ぼんやりたずねると、」じいさんは大喜びしました。じいさんは次から次へと、恭一にいろんな話をしました。そのうちに、線路の遠くに、小さな赤い二つの火が見えました。するとじいさんはあわてて
「あ、いかん汽車がきた。誰かに見つかったら大変だ。もう進軍をやめなくちゃいかん。」・・・・・さて、恭一と電信柱たちはどうなったんでしょうか・・・

   宮沢賢治童話「月夜のでんしんばしら」です。 子供の頃、こんな瀬戸物の白いエポレットを載せた電信柱を見かけると、いつもこのお話が頭に浮かびました。今にも歩き出しそうな気配がしてきてドキドキしたものです。

   1924年(大正13年)12月1日に出版された短編集「注文の多い料理店」の中に収録されたお話です。賢治さんの生前に出された童話はこの1冊だけです。しかも1000部の自費出版でした。定価1円60銭、(当時の映画の入場料が30銭ほど)当時としては比較的高価だったためか、今では信じられませんが、そのほとんどが売れ残ったということでした。出版当時は岩手在住の図画教師だった菊池武雄が挿絵を描いています。当時すでに発刊されていた「赤い鳥」に作品の掲載を希望していたのですが、鈴木三重吉に断られてしまったそうです。もしかしたら、賢治さんの童話の世界に「赤い鳥」の方が追い付けなかったのではないかと私は思っています。

   賢治童話は挿絵だけのものが多かったですが、絵本になった作品もだんだん増えてきました。この絵本は2009年10月16日に出版されています。月のきれいな秋の絵本として選びました。竹内通雅さんの絵の力強さが、賢治さんの描く世界をよりリアルに伝えてくれているように感じます。目もくらむような月の輝きが画面から目に飛びこんできます。賢治さんの描く電信柱の絵も味わいのあるものですが、この絵ならきっと賢治さんも納得なさっているのではないでしょうか。

   賢治さんは童話として作品を多く残していますが、その中に流れているものは様々な意味を持っています。この作品も深く研究をされ、当時の国の政策としての戦争に対する反戦的な意味合いが明確にされた作品であるとも言われています。そして、「ドッテテドッテテ、ドッテテド」という軍歌めいた歌は賢治さん自身の作曲であり、オペラ・カルメン組曲の「アルカラの竜騎兵」からのイメージもあるそうです。音楽も大好きだった賢治さんの中には溢れるほどの想いがあったのでしょう。絵本のとびらの裏には音符も記されています。親子でじっくりと向き合ってほしい作品の一つです。

(赤鬼こと山ア祐美子)

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赤鬼からの手紙(2017年9月号)



『きりのなかのはりねずみ』

作 ノルシュテイン コズロフ
絵 ヤルブーソヴァ
訳 こじま ひろこ

福音館


   今年の夏は、思いもかけないような大雨や雷、雹まで降ったところもありました。被害に遭った地域も少なくありません。1年中どこかが災害に見舞われてしまう私たちの国は、そのたびに誰かの助けを必要としています。そして、助けられたことのある人は、今度は誰かを助けたいという心構えが生まれてきます。これは災害の時だけではありませんね、日常生活の中でも、そんな場面はたくさん出てきます。誰かを思うこと、誰かの気持ちに寄り添うことが出きるようになっていたいものです。

   霧の中で、星を見つめているはりねずみがいます、このはりねずみの傍には誰がいてくれるのでしょうか・・・

あたりがうすぐらくなって、はりねずみは こぐまのいえにでかけます。ふたりで おちゃをのみながら ほしをかぞえるのです。こぐまのだいすきな、のいちごのはちみつにをもってきました。空には星がまたたいています。「あっ、水のなかにも お星さま!」そんなはりねずみのようすをみながら、みみずくが あとををついてきました。
はりねずみは あるきながら こぐまのことを かんがえていました・・・おやっ?
きりのなかに しろいうまが うかんでいたのです。
はりねずみは どきどきしてきました。
「しろうまさん、きりのなかで おぼれないかしら?」
はりねずみは おもいきって きりのなかにはいっていきました。でも、しろうまのすがたは みえなくなっていました。きりのなかは なんだかこわくてたまりません。おおきなはっぱのしたに、かたつむりがでてきたり、ぎんいろのがが、クリン、クリン、とかすかなおとをたてておどっていました。はりねずみも いっしょにおどりました。あたりはすっかりくらくなっています。はりねずみはひろったこえだで きりのなかを さぐりながら すすみます。「うわーっ」!おおきな かしの木にぶつかり、びっくりして にげだしました。そのとき、のいちごのつつみをわすれてしまいました。 「はーりーねーずーみーくーん!」とおくから、こぐまのよぶこえがきこえてきました。
・・・さて、はりねずみは ぶじにこぐまのいえにたどりつけるのでしょうか。


   なんて美しい絵本でしょう!映像の詩人と呼ばれる ロシアのアニメーション作家 ユーリー・ノルシュテインの作品です。1975年に短編アニメーションの傑作として描かれた作品が見事に絵本になって生まれ変わったものです。

   ノルシュテインはあの手塚治虫やジブリ作品を手掛けたの高畑勲さんも絶賛する作家です。87年に広島で行われた国際アニメーションフェスティバルで審査員として同席した手塚さんはノルシュテインにサインを求めました。彼は手塚さんにベレー帽をかぶったはりねずみを描いてくれたそうです。そんなやり取りがとても温かい人柄を感じさせてくれます。そして、何度か来日しては、日本の若者達に熱のこもった指導をしてくださったそうです。こんなメッセージが送られました。

   −「芸術というものが何のために存在するのか、という話をしましょう。人間というものはいつか必ず死にます。だからこそ芸術が存在するのだと思います。生きている人たち、生き残っている人たちに、生きる意味を与えるために芸術は存在しているんです。この人生の中でみんなを楽しませる、あるいは気晴らしをさせるだけではなくて、生きる意味、まさにそれを与えてくれるために芸術はあるに違いありません。これは芸術家たちは皆このことを知っているんです。観客たち、あるいは作品を受け入れる人たちも皆知っているんです。・・・」

   アニメーションの世界をアートにまで引き上げて、その質の高さを芸術と呼んでいます。今や日本は、世界に誇るアニメ大国になっています。作家を目指す若者たちもたくさん溢れています。自分に向き合いながら、自分の表現を見つけていく、そしてそれが近くの人や遠くの人にまで寄り添うことに繋がっていくようなきがします。

   2014年のロシアソチオリンピック開会式には、この「霧の中のはりねずみ」がロシアを代表するモチーフとしても発表されました。それだけ、ロシアの人々にとってもはりねずみは愛すべき存在なのですね。3年後の日本で開催されるオリンピックは、スポーツの祭典だけでなく、若者たちの芸術への表現の場になってほしいと願います。

(赤鬼こと山ア祐美子)


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