学校法人
認定こども園 聖愛幼稚園

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Last Update: 19/07/02

赤鬼からの手紙・・・1978年から1981年までのたった3年間、甲府の中心地に児童書専門店『赤鬼』と いう小さな本屋さんがありました。当時は希少な絵本中心の児童書専門ということで、地元山梨のみならず 全国にファンが広がっていた素敵な本屋さんでした。その後、一男二女の母となった赤鬼は子育ての大事業を 志し、後に東京都練馬区教育委員会の教育委員を務める等、常に母親の立場から目覚ましい活躍をしてきました。 今も文部科学省委託事業『新教育システム開発プログラム』作成に参画して日本国中を東奔西走しています。 赤鬼と小学校以来の幼馴染の私は、3年ほど前から故郷山梨の子どもたちのために絵本の紹介を 書いてくれるようお願いしてきました。やっとこの2007年5月から毎月お手紙をもらえることになりました。 赤鬼おススメの絵本は、聖愛幼稚園の子育て支援センター『あんぱんくらぶ』の本棚でいつでもご覧いただけます。 なんたって『赤鬼からの手紙』です。どうぞ、お楽しみに。(園長 鈴木)




赤鬼からの手紙(2019年4月号)



『 だってだってのおばあさん 』

さのようこ さく・え

フレーベル館

   空が高くなって、ひまわりも太陽に向かってぐんぐん伸びてきました。 いよいよ夏本番の装いですね。 山や海、川や高原、たくさんの自然の営みも一層生き生きしてきます。 夏を迎える準備はできていますか?今年の夏休みにはどんなことをしようかなあって、家族と計画を立てるのも楽しみです。 久しぶりにおじいちゃん、おばあちゃんに会いに行く人もいるかもしれませんね。 きっと、首を長くして待っていることでしょう。 おみやげ話をたくさんためておくといいですね。 あらあら、このおばあちゃんは、”だって、だって・・・”ばかり言ってますよ、いったいどうしたんでしょうねえ・・・

あるところに、ちいさな うちがありました。このいえには おばあさんと いっぴきの ねこがすんでいました。おばあさんは98さい、ねこは げんきな おとこのねこでした。ねこは まいにち ぼうしをかぶって つりざおをもって さかなつりにいきました。
「おばあちゃんも さかなつりに おいでよ」と さそいました。おばあさんは
「だって わたしは 98だもの、98のおばあさんが さかなつりをしたら にあわないわ」と ことわりました。そして、おばあさんは いすにすわって、はたけで とれた まめの かわをむいたり、おひるねをしたりしました。
「だって わたしは 98だもの」

さて、きょうは おばあさんの99さいのおたんじょうびです。おばあさんは、あさからケーキをつくりました。ねこは おばあちゃんの つくる ケーキが だいすきでした。
「おばあちゃん ケーキを つくるの じょうずだね」
「だって わたしは おばあちゃんだもの、おばあちゃんは ケーキを つくるのが じょうずなものよ。」
おばあさんは ねこに いいました。「ろうそくを かってきておくれ。99ほんだよ。」
ねこは いそいで いそいで おおいそぎで ろうそくを かいに いきました。
「フン フン ケーキは だいせいこう。これは だいせいこうの におい」
そのとき ねこが おおきなこえで なきながら かえってきました。やぶれた ふくろと ろうそくを 5ほん もっていました。
「5ほんだって ないより ましさ。さあ ろうそくを ケーキに たてておくれ。」
おばあさんは ローソクに ひを つけました。「おばあちゃん、かぞえて」
「1さい 2さい 3さい 4さい 5さい。5さいのたんじょうび おめでとう」
おばあさんは じぶんで じぶんに おいわいを いいました。
「おたんじょうび おめでとう!おばあちゃん、ほんとに 5さい?」
「そうよ、だって ちゃんと ろうそくが 5ほん あるもの。ことし わたし 5さいに なったのよ」と おばあさんは いいました。「ぼくと おんなじ!」
つぎのあさ、ねこは さかなつりに でかけようとしました。「おばあちゃんも おいでよ」
おばあさんは 「だって わたしは 5さいだもの・・・、あら そうね!5さいだから、さかなつりに いくわ」といって おばあさんは げんきよく ねこと いっしょに でかけました。のはらには はなが たくさん さいていました。おばあさんは においを くんくん かぎながら、「5さいって なんだか ちょうちょみたい」・・・
さてさて、5さいになった おばあさんは いったい・・・

   「100万回生きたねこ」でお馴染みの佐野洋子さんですが、この絵本は初期の3作目の作品です。 絵本作家としての作品数は多い方ではないかもしれません。 挿絵、イラスト、デザイン、小説、児童文学、翻訳、脚本、エッセイ等、とても多彩な人でした。 特にエッセイは彼女の人となりが表されるような楽しいものがたくさんあり、佐野さんが亡くなられた今でも、老若男女問わず人気があります。 そんな多くの表現の中でも、彼女独自の言葉と特有な色遣いや線で描かれた絵本の一冊一冊には、人間、動物、自然、社会現象等、あらゆるものへの深い愛情と洞察があるように思えます。

   今回の「だってだってのおばあさん」は1975年、今から44年前の作品ですが、人生100歳時代と呼ばれる現代を予測したかのような思いがしてきます。 とはいえ、佐野さんが描いた頃に出会った世界中のおばあさんはこの予想とは違っていたのかもしれません。 あとがきにはこんなことが書かれています。

”〜私にとっては、あのおばあさんは額に入った絵と同じようになってしまいました。〜たくさんのおばあさんにこの絵本を贈りたいのです。〜だって、おばあさんは一番たくさんの子どもの心をもっているんですもの。”

   医療体制も環境も整い、確かに人間の寿命は延びています。 特に日本の女性の平均寿命は世界一とも言われます。 だから、元気なおばあさんがいっぱい・・・それでも、年齢を抱えながら自分を知るということは、なかなかできにくいものです。 絵本のおばあさんの〜だって〜の言葉は、良くも悪くも様々な固定観念や理由付けを自分に課してしまう言葉の様にも聞こえます。 でもここから、自分を解放して新たな自分に出会うという人生の醍醐味を絵本の中で伝えてくれる佐野さんの手法はお見事!

   98歳になって、5歳の自分に出会えるなんて、なんて素敵なことでしょう! でも、絵本を読んだ子どもたちは、猫と同じように、やっぱり、ケーキが心配ですって・・・ 子どもからお年寄りまで楽しむことが出来る魔法の絵本です。

(赤鬼こと山ア祐美子)


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赤鬼からの手紙(2019年6月号)



『すみれ島』

今西祐行 文
松永禎郎 絵         

偕成社


   初夏のような気候になってきました。梅雨の訪れが聞こえてくるまでは、春を呼んできた花々たちも、頑張って咲いてくれるかもしれませんね。 花屋の店先ではあまり見かけないけれど、道端で小さな紫色を見つけたことはありませんか? 3月から5月ころに咲き誇る、愛らしいすみれの花です。 都会でも、コンクリートの隙間やブロック塀の間から顔を出す姿を見たことがあります。 鼻先を寄せると、ほんのり甘い香りがしてきます。 このすみれにまつわる、悲しいけれど忘れてはならないお話です。 紫の紫陽花にバトンタッチするまで、もしも見かけたら、このお話を思い出してください。

 九州の南のはしに近い海辺に、小さな小学校があった。
昭和二十年、春、毎日のように学校の真上を、日の丸をつけた飛行機が飛ぶようになった。生徒たちがバンザイと、手をふると、飛行機は声が聞こえたかのように、つばさをふって海のむこうに飛んでいった。 先生たちは、それが最期のサヨナラであることを知っていた。
何も知らない子どもたちはなんども学校に飛行機が飛んでくるのを喜んで、手紙や絵を描いて、航空隊におくってもらった。
「飛行機からぼくたちがみえますか?こんどは、もっと大きくつばさをふってください。」
手紙をだしてから、飛行機はほんとうにつばさを大きくふってくれたようにみえた。そんなある日、ひとりの女の子がいいだして、すみれの花束をおくることにした。みんなでつんで、いくつもの花束にして、先生といっしょに航空隊に届けた。すると、いく日かして学校に手紙が来た。

―――――――――――――――――――――
すみれの花を たくさんありがとう。ゆうべは、とてもたのしい夜でした。
ぼくは小さいとき、よく すみれの花で、すもうをしました。
みなさんは知っていますか。
すみれのことを、ぼくたちは〈すもうとり草〉とよんでいました。
すみれの花をからませて、引っぱりっこすると、どちらかの花がちぎれます。
ちぎれたほうが、まけです。
きのう、たくさんすみれをいただいたので、みんなで、それをやりました。
せっかくもらった花を、ちぎってしまって、わるいなと思いながら、
花がなくなるまでやりました。毛布の中を花だらけにしたまま、ねてしまいました。
かすかに、いいにおいがしました。
いま、出撃の号令がかかりました。みなさん、ありがとう。
ゆうべはほんとうにたのしい夜でした。いつまでもお元気で。サヨーナラ。
―――――――――――――――――――――
「このお手紙をくれたかたは、もう、南の海で、戦死しているのよ。
もう、いらっしゃらないのよ・・・」
先生は涙ながらにそう言って、子どもたちにはじめて特攻機のことをくわしく話した。
その日から、子どもたちは、野原のすみれの花がなくなるまで、花束を作って送り続けたのであった。
戦争が終わっていく年かがすぎた。南の島の小さな無人島の一つに、いつからか、いちめんにすみれの花が咲くようになった。いまでも、海辺の人たちは、名前のなかったその島のことを、〈すみれ島〉とよんでいる。

   6月23日を知っていますか? 「沖縄慰霊の日」です。1945年4月1日に米軍が沖縄に上陸して、日本における唯一の本土決戦になりました。沖縄は多くの生命、財産、文化が奪われました。 〜1974年に制定された「沖縄県慰霊の日を定める条例」により、「我が県が、第二次世界大戦において多くの尊い生命、財産及び文化的遺産を失った冷厳な歴史的事実にかんがみ、これを厳粛に受けとめ、戦争による惨禍が再び起こることのないよう、人類普遍の願いである恒久の平和を希求するとともに戦没者の霊を慰めるため(条例第1条)」、6月23日を「慰霊の日」と定めている。〜

   退位された平成天皇は、ヒロシマ、ナガサキの原爆投下の日と共に、忘れてはならない日としてご自分に刻まれ、何度も沖縄への慰霊の旅を続けられました。 6月になると、この日を思います。そして、すみれの花が咲きはじめると、「すみれ島」の絵本を思い出します。 ”特攻花”と呼ばれる花には、すみれの他にも、いろんなものがあります。 タンポポ、サクラソウ、テンニンギクなど、どれもこれも、それぞれの愛らしさで、隊員たちを送り出したのでしょう。 この絵本にある南の海は、沖縄方面でもあります。すみれ島は本当にあるかどうかわかりません。 でも、特攻に消えた隊員の手に握られたすみれの花束から種が根付き、一面にすみれ色に染まった島があるように思えてなりません。

   沖縄は今も、戦争の傷跡に引きずられながらも、人々の暮らしを平和に、穏やかに、そして豊かにするようにと努力されています。 沖縄は今や一大リゾート地でもあり、移住される方も多くなってきました。 それだけに、沖縄の持つ歴史の痛みに皆で心を寄せながら、平和の大切さを伝えていかれればと思います。

(赤鬼こと山ア祐美子)


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赤鬼からの手紙(2019年5月号)



『ねずみくんのチョッキ』

なかえよしを 作
上野 紀子 絵


ポプラ社


   年は桜も華やかに咲き誇って、入学式に間に合ったところも多かったようです。 5月は木々の緑が一段と鮮やかになり、吹き渡る風も新入生の様に新芽の匂いを運んでくれます。 とはいえ、足元の小さな芽吹きも忘れてはなりません。 見事な枝を抱えた緑豊かな大樹も、初めはほんのいちいさな芽だったのですから・・・ おやおや、小さな小さなねずみくんのチョッキを羨ましがってるのは・・・大きな大きなゾウ?!

おかあさんがあんでくれた赤いチョッキ。
「ぴったり にあうでしょう」
ねずみくんはうれしそう・・・
すると、あひるくんがやってきて
「ちょっと きせてよ」
そうやってあひるくんがチョッキを着ていると、今度はさるくん・・・
「ちょっと きせてよ」
さらにあしかくん、ライオンくん・・・・
次々に動物がやってきてねずみくんの赤いチョッキを「ちょっと きせてよ」
最後に来たのは・・・

あれれ、チョッキはだいじょうぶなのかな?

   小さくて可愛いねずみくんの、ちょっぴり自慢気な表情から始まるこの絵本・・・ お馴染みの「ねずみくんのチョッキ」 なかえよしを 上野紀子夫妻の1974年の作品です。 ねずみくんが出版されてから今年で、ちょうど45周年。そんな記念の年の2月に奥様の上野紀子さんは天に召されてしまいました。 上野さんの絵はねずみくんシリーズのような、身近で可愛らしい作品だけではなく、「ちいちゃんのかげおくり」のような戦争をテーマにした作品や、今は絶版になって残念ですが「くろぼうしちゃん」のような不思議な少女の作品にもあたたかな目線が注がれています。

   シリーズ40冊ほどにもなる、この愛くるしいねずみくんの新しい姿に出会えなくなると思うと悲しくてなりません。 子どもたちに長く愛されている絵本の中でも、1、2を争うほどの「ねずみくんのチョッキ」の魅力は何でしょうか。

   「ちょっと きせてよ」という、呼びかけでチョッキを着るというというくり返しだけなのに、姿も大きさも違う個性的な動物たちが登場するたびに子どもたちはドキドキしながら次のページを見守ります。 心の中では、だんだん、大丈夫かな・・・と思いつつも、、、ついつい引き込まれていく世界、そして最後には、びっくりするようなどんでん返しや、すてきオチがあります。 その中には、いつも子供たちと同じ高さの目線があります。

   1972年「ぞうのボタン」という絵本を自費で制作されたのですが、当時の日本の出版社はあまりいい反応を示さなかったそうです。 そこで、ニューヨークに行けば何とかなると・・・アメリカで売り込むために持っていきました。 そして、1973年「Elephant buttons」として出版されました。お二人の絵本デビューはなんと、アメリカだったのです。 次作の構想を練っているうちに、日本の出版社の目に留まり、それが74年の「ねずみくんのチョッキ」に繋がっていきます。 その後「Elephant buttons」は、75年「ぞうのボタン」として日本でもやっと、別の出版社で形となりました。 わが子たちにとっては、ねずみくんと同様にお気に入りになりました。

   御夫婦二人三脚での作業は自費出版の頃からですから、あまり仕事という意識がないような雰囲気だとも語られています。 上野さんは、なかえさんの構想の一番最初の読者ですから、上野さんを納得させるのが、なかえさんの役目です。 文章をシンプルにする分だけ、上野さんは絵の表情を細やかにこだわり、ねずみくんに白目があるのも、表情を豊かにするためだといっています。 笑うにも、微笑みなのか、大笑いしているのか、、、旦那様のなかえさんがモデルになることもあったとか・・・こんなお二人の雰囲気がねずみくんシリーズを支えているのだと、よく伝わります。 そうそう、ねずみくんの身長は2cm6mm。初めて描いた時とずっと変わらないそうです。 変わらないっていいですね、親子一緒の読者になります。

   ある児童書研究者の方が、「ねずみくんのチョッキ」を、”なんて残酷な絵本でしょうか・・・”と講座の中で語られていたことがあります。 私の頭の何は???マークがいっぱいでした。 〜”お母さんが編んでくれた、ねずみくんのチョッキを動物たちが寄ってたかって、駄目にしてしまったのですよ、、、なんてかわいそうなことを・・・”〜というのです。 そんな読み方をする研究者がいるのかと、当時の児童文学界を怪訝に思ってしまいました。

   あるお母さんから、子どもの絵本の読み方のことで相談されたことがあります。 ”小学生になっても、「ねずみくんのチョッキ」しか読まなくて困ります”と話されました。 よくよく聞いてみると、彼は絵本をわきに抱えて、寝転んで、座って、ブランコしながら、部屋を暗くして、トイレで、押し入れで・・・、「ねずみくんのチョッキ」をあらゆるところで、あらゆる読み方をしていたのです。

   これはすごい!と思いました。おかあさんに”ちょっと辛抱して見守ってあげてください”と伝えました。 彼は3年間きっちりと「ねずみくんのチョッキ」を堪能して、4年生になってから、ものすごい勢いで、いろんな本を読むようになったそうです。 きっと、彼の想像の翼は、「ねずみくんのチョッキ」の中で膨大に広がり続けたのでしょう。 子どもたちは、大人の研究者よりもずっと、絵本の真実に寄り添っていることがよくわかります。

   絵本の可能性には、大人には理解の及ばないほどの力があるように思います。 これからも、そんな絵本に出会えたらいいですね。

(赤鬼こと山ア祐美子)

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