あけましておめでとうございます。
昨年の元旦、16時10分。日本中がお正月気分でウキウキしていたころ、TV画面、スマホ画面は地震速報のサイレンが鳴り響き、一気に画面の様子を変えていきました。あの穏やかな輪島の朝市が始まるはずだった場は一気に炎に包まれました。地震の復興が進み始めた矢先の9月、能登地方は再び豪雨という災害に見舞われました。日本中が、どうして‥・という思いに胸を痛める一年でした。まだまだ復興がすすみません。
今年は「巳年」。脱皮を繰り返す蛇のイメージから「復活と再生」を意味し、新しいことが始まる年と言われ、また「巳」を「実」と読み、「実を結ぶ」年とも言われます。
何とか今年は、能登の皆さんにとって、復活と再生によって、実を結ぶ1年になってほしいと願ってやみません。
うさぎたちの にわは せかいいち うつくしいにわ。うさぎたちは せかいいち しあわせ。あるひ としよりうさぎが にひきをよんで こういった。
「・・・にんじんは すきなだけ たべていい、だが りんごに てだしは しないこと、きつねに やられるぞ」
にひきは おなかがすくと にんじんを ほりだした。あくるひ あちこち ほったが、にんじんは いっぽんも みつからない。「どうしよう?」なきべそを かいて いった。
とつぜん りんごの みきから みごとな にんじんが のぞいているのを みつけた。むちゅうで とびつくと、にひきのまえに あらわれたのは おおきな へび。
「ぼくの しっぽの さきを たべようってのかい?こうさぎも ちかごろは へびを たべるのかね? は! は! は!」
「ごめんなさい しっぽのさきを にんじんだと おもったんです。にんじんが どこにも みつからないんです」
へびは みたこともない かいだこともない まっかな りんごを さしだした。
その おいしかったこと!へびは いった。「さあ あそぼうよ!」
それから まいにち さんびきは すっかり なかよしになった。おなかが すくと
へびは いちばんよく うれた りんごを とってくるのだった。あるあさ こうさぎが めを さますと くさむらから おおきな あかぎつねが こっちを うかがっている。
にひきは いのちからがら はねた、はねた。きつねは あとに つづき あわや つまかろうとした そのとき・・・へびが にひきを まっていたのだ。こうさぎたちは すぐに わかった。にひきは ぴょんと ひととびで へびの なかに とびこんだ。
「かいじゅうだあ!」と さけんで きつねは くるりと ふりむき にげだした。
そうして としよりうさぎが たびから かえってきた。じぶんの めが しんじられなかった。りんごを たべても へっちゃらの こうさぎ!にこにこしている へび!
こうさぎたちは へびと、きつねの はなしを きかせた。
「ふ―む・・・」と、としよりうさぎは かんがえこんだ。
それから へびは いちばん おいしそうな りんごを ひとつ もいだ。
「いいさ、りんごってのは おおきな まるい ひかった にんじんに すぎないんだ」
ほほえみながら としよりうさぎは あっというまに りんごを まるごと のみこんだ。
「巳年」のはじまりです。蛇の絵本をたくさん見て、この絵本にしました。
昨年亡くなられてしまった、谷川俊太郎さんの名訳が語る、レオ・レオニとの絵本です。教科書にも掲載されている「スイミー」でお馴染みですが、レオニ作品は、谷川さんの訳がなければ、これほどまで日本の絵本界にとっても、大きな存在にはならなかったでしょう。
「うさぎたちのにわ」って、うさぎが主人公ではないの?
いえいえ、実は、この主人公はへびなのでは?と、私は思っています。
美しい庭、蛇と食べてはならない林檎と…どうしても、旧約聖書のアダムとイヴの楽園追放を連想してしまいます。そんなドキドキした気持ちで読み進めていたら、絵本に登場してきた蛇は、旧約聖書に出てくる狡猾な知恵者とは全く違う、パステル画の柔らかな線で描かれた優しい目をした蛇ではありませんか!レオニの描く蛇は、子兎たちを狐から守るのです!とはいえ、狐は相変わらずの悪者役ではありますが。
狐に追いかけられて、必死に逃げていた子兎たちを待っていたのは蛇でした。そのあんぐり開いた口へ飛びこんだ二匹の兎は、蛇と力を合わせて、蛇の姿を怪獣に見せてしまいます。このあたりは、ちょっと「スイミー」をも連想させます。遊ぶうちになかよしになった蛇への信頼が兎たちを守ります。他者と手を取り合って困難に向かうというメッセージは、レオニの永遠のテーマです。最後に子兎たちの話に、うーんと考え込みながらも、ちゃっかりと蛇から渡された、りんごを丸呑みしてしまう年寄兎も可笑しみがあって、レオニ作品のペーソスを感じさせてくれます。
今年も、様々な困難は待ち受けているかもしれません。いつも相手を思いやることを心に留めて、ともに助け合って過ごす1年であってほしと思います秋はあったのかしら…と思うほどに急に寒さが襲ってきました。すでに大雪に見舞われた所もあるほどです。予想では、今冬はドカ雪になるかもと…私たちの住むこの地でも、銀世界になるやも知れません。とはいえ、雪は楽しく美しい場面ばかりではなく、危険も伴うこともありますので、事前の準備も必要です。世界を見渡せば、全く別の季節が巡っている国々に住む人々もいます。初めての雪に出会う子どもたちもいます。雪に見立てた真っ白な綿を飾りにしたツリーなど見たこともないお友だちもいます。今年はそんな子供たちの言葉に耳を傾けてみましょう。
(赤鬼こと山ア祐美子)
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秋はあったのかしら・・・と思うほどに急に寒さが襲ってきました。
すでに大雪に見舞われた所もあるほどです。
予想では、今冬はドカ雪になるかもと・・・私たちの住むこの地でも、銀世界になるやも知れません。
とはいえ、雪は楽しく美しい場面ばかりではなく、危険も伴うこともありますので、事前の準備も必要です。
世界を見渡せば、全く別の季節が巡っている国々に住む人々もいます。
初めての雪に出会う子どもたちもいます。
雪に見立てた真っ白な綿を飾りにしたツリーなど見たこともないお友だちもいます。
今年はそんな子供たちの言葉に耳を傾けてみましょう。
あるところに、遠い国から来た女の子がいました。
その女の子は知らなかったのです。
クリスマスって、なにかを・・・
クリスマス メリークリスマス
女の子はあちらこちで、このことばを聞きました。
クリスマスカード、クリスマスのローソク、クリスマスプレゼントのこつづみ、
クリスマスの花など、どこもクリスマスでいっぱいです。
いろいろなもみの木がなん百本と売られています。お店のショーウインドーにも
さまざまなものがならんでいます。
「こんなにたくさんのものが どうしているのかしら?」女の子はふしぎに思いました。
女の子の名前は、アッシアといいました。アッシアは、ちぢれたかみの毛で、こげ茶色のはだをしていました。
アッシアは、せんそうがおきている国からのがれてきたのです。その国では、食べものがたりないばかりか、たくさんの人たちが、ひどくいじめられてくるしんでいました。アッシアは、なんみんの子どもなのでした。
12月のさいしょの日。先生の机には、4本のローソクともみの小えだのリースがおかれていました。「わあ、きれいなアドベント・リース!」みんなが、声をあげました。
アドベント アッシアにとっては、はじめて聞くことばでした。
アッシアは、やっとゆう気を出して聞いてみました。「クリスマスって、なんですか?」
みんなは、わらい出しました。クリスマスを知らない人がいるなんて、しんじられなかったからです。みんなが、てんでばらばらに大声で言いました。
「クリスマスには、まどにお星さまをかくんだよ!」「お家をきれいにかざるの!」
「ママが、クッキーをやいてくれるの」「サンタさんに、おねがいリストをかくよ」
「サンタクロースが来るんだ」「海にりょこうに行くの」「新しいじてん車をもらえる」
「おおきなお人形をもらえるの」「おばさんが、金かをプレゼントしてくれるんだ」
「おじいちゃんおばあちゃんが、家に遊びにきてくれるわ」「プレゼントを手作りするのよ」
「パパがクリスマスツリーのかざりつけするんだ」
それでも、アッシアには、クリスマスがなんなのか、まだわかりませんでした。
「わたしにとっては、あなたたちに古いせいしょのお話を聞かせる時が、クリスマスだわ」
先生が言いました。「へいわを、わたしたちにはこんで来てくださるイエスさまが、おうまれになった時のお話。クリスマスのお話よ。それはね・・・」先生はつづけました。
マリアとヨセフのこと、ひつじかいのこと、てんしのこと、東の国から来た3人のはかせたちのこと、イエスさまがおうまれになったベツレヘムにみちびいた、星のこと。
そして、はかせのひとりは、アッシアのような、こげ茶色のはだをしていたこと。
アッシアは、ハッとしました。「っていうことは・・・」
先生が言いました。「クリスマスのげきをする時は、そのはかせの役は、きまったようなものね」となりの男の子が、そっとやさしくアッシアのかみをなでました。
「わかったわ!クリスマスがなにか。クリスマスって、って、みんなにとって、よろこびの時!」
毎年当たり前のようにクリスマスをお祝いしてきた私たちにとって、「クリスマスってなあに?」と思ったことは一度もないのではないかと思います。
でも、世界には生まれてから一度も、クリスマスの言葉さえ触れることもなかったお友だちがいることを、この絵本で、改めて考えました。
この絵本の見開きの冒頭のページには、〜ツリーの下のクリスマスプレゼント〜と題した、一文があります。
様々なプレゼントが飾られているツリーの下・・・
「〜〜〜〜
ゆたかなの? まずしいの?
あったかいの? つめたいの?
もっとほかに、なにかあってもいいんじゃない?
大きくなくて、小さくもなくて、
お店のショウウインドーには、かざってないもの。
そして、だれも買わないもの。
ちょっと聞いてもいいかな?
かみさまからのプレゼントっていうのも、そこにある?」
Peace in the world,
Joy to the world,
Happy Merry Christmas to You !!
「ぞうさん」で知られる詩人、まどみちおさんもクリスチャンでした。敬愛するまどさんの詩を阪田さんなりに考察した作品もあります。
詩人として、クリスチャンとしても、繋がるものや伝えたいことがあったに違いありません。
声に出して歌う事、忘れていませんか?
まずは、記憶のあるわらべうたや童謡、唱歌などから声に出して歌ってみませんか?
(赤鬼こと山ア祐美子)
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空が高く吹く風も澄み切った季節になってきました。
流れる雲もうろこ雲やすじ雲や、様々な顔を見せてくれています。
少し夏の暑さが残っているのか、紅葉にはまだ早いようですが、北国では一気に寒さがやってきています。
きっと、あれよあれよという間に、近場の山々も1年中で一番美しく化粧してくれることでしょう。
秋の空は、抜けるような「そらいろ」と表現されることがあります。
そんな「そらいろのたね」があるのですって!
ゆうじが、のはらで もけいひこうきを とばしていると、もりのきつねが かけてきて 「やあ!いいひこうきだなあ!ゆうじくん、その ひこうきを ちょうだい」といいました。
ゆうじは ひこうきと きつねがだした「そらいろのたね」をこうかんしました。
ゆうじは、いえにかえって、にわのまんなかに たねをうめました。
つぎのあさはやく、「めは でたかな?」とみると、おや まあ、つちのなかから まめくらいの そらいろのいえが でてきました。
「うちが さいた!うちが さいた!」ゆうじは じょうろで ちいさいいえに みずを かけました。
「おおきくなあれ、おおきくなあれ」すると、そらいろのいえは、すこしずつ おおきくなっていきました。
「ぼくの うちだ!」と ひよこが やってきて どあをあけて はいりました。
そらいろのいえは、もっと おおきくなっていきました。
「わたしの うちがあるわ!」ねこが はいりました。
そらいろのいえは やすまず おおきくなっていきました。
ぶたも きました。「ゆうじくん ほんとうに いい うちだね!」
おひさまのひかりをあびて みずをかけてもらって、またまた おおきくなりました。
こんどは、ゆうじが はいりました。
たろうと はなこ しげると ひろしと くみこも きました。
そらいろのいえは すこしもやすまないで、大きくなっておきます。
うさぎと りすと はと ぞうのおやこ もきました。
とうとう おしろのように りっぱな いえができあがりました。まちじゅうの こども もりじゅうの どうぶつたちもやってきました。きつねも やってきて「うわぁ すごい!」と めをまるくしました。「そらいろのたねから うちが はえてきたんだよー」とみんながいうと きつねは おおごえで どなりだしました。
「ゆうじくん、ひこうきは かえすよ。だから このうちも かえして。このうちは ぼくのうちだからね。だまって はいらないでよー。みんな でていっておくれー」
きつねは おおいばりで なかへはいると、いえじゅうの かぎをかけました。 すると、そらいろのいえは きゅうにおおきくなりだしました。「おひさまに ぶつかる!」
ゆうじが さけんだとたん いえは おおきくゆれたかとおもうと くずれはじめました。
しばらくすると そらいろのいえは どこにもなく びっくりぎょうてんして めをまわした きつねが のびていました。
10月14日「ぐりとぐら」の中川李枝子さんが天に召されました。
89歳、老衰とありました。生きることを心底全うされたように思いました。
デビュー作の「いやいやえん」や連載の「ぐりとぐら」は仕事と育児に追われる日々の中で描かれました。中川さんの仕事は「みどり保育園」の保母さん、お子さんも、まだ2.3歳という手のかかる頃です。創作のエネルギーはどこから来たのか、という問いかけにこんな風に応えています。
「ねえ、どうしてできたのかしら(笑)。でもね、みどり保育園は一切残業をしない園だったの。はじめと終わりの時間はきちんと守る、園だよりもない、行事もない。とにかく無理はしない、っていうのが一番のモットー。何しろ職員が私と天谷先生の2人しかいないんだから。お昼寝の時間は子どもたちと一緒に寝ちゃってたしね。だから創作は子どもを寝かしつけた後の夜にやってたんでしょうね、きっと。あまり覚えてないんだけど。だいたい私は400字詰め原稿用紙7枚だから、仕事の依頼は「できそうだな」と思えるときだけ引き受けていたの。ただし、台所で書くとかそういうことは一切やらない。書くときはちゃんと自分の机で書く、ということはきっちり守っていたの。台所で空き時間にちょこちょこ書くとか、そういうのは主人も嫌がるし、それだと全部が中途半端になってしまうから。」
そして、働くお母さんについても、こう語られています。
「働いているお母さんは無理しちゃいけない。
昔、働きながら子育てをしていた知り合いの女性は、ありとあらゆる便利な家電製品にお給料をつぎ込んでいましたよ。
最新式の洗濯機とかね。毎日やるべきことはたくさんあるんだから、全部を完璧にやる必要なんてないのよ。
もしも働いていることに罪悪感を持っているお母さんがいるとしても、そんなの子どもに見せちゃだめよ。
むしろ『私は働いているのよ!』っていばらなきゃ(笑)。
家族の犠牲になんかなっちゃいけません。子どもは子ども、自分は自分。
赤の他人・・・じゃあもちろんないけど、子どもは親とは別の人間であり、それぞれが社会の一員として尊ばれるべき存在なんです。
その上で、お母さんたちには自分を一番大事にしてほしいの。
だから健康診断は欠かさず行ってくださいね。
お母さんが健康であること。これが子どもにとっても家族にとって一番幸せなことなんですから。
お母さんは世間で何が起きているかをしっかり見聞きして、選挙にも行かなくちゃだめ。
特に今のような時代の状況ならなおさら。」
中川さんのエッセイに「子どもはみんな問題児」という作品があります。母として、保育士として、作家としての視点、様々な角度から子どもたちを見つめています。こちらもぜひ、お勧めします。この題名だけをきいただけで、ほっと安心した、というお母さんもいました。
焦らないで、だいじょうぶ。悩まないで だいじょうぶ。
こどもはこどもらしいのがいちばんよ。
子育ては「抱いて」「おろして」「ほっといて」〜「子どもはみんな問題児」
宮崎駿さんは中川さんを敬愛していました。宮崎さんの依頼でつくられた詩です。
〜あるこう あるこう わたしはげんき あるくの だいすき どんどんいこう〜♪
「中川さんの絵本の素晴らしさは教訓めいていないところです。
ファンタジーの主人公は一般的に、冒険して帰ってくると賢くなっていたり成長していたりする。
でも中川さんの場合は賢くならないまま(笑)。
子どもが冒険して帰ってきて成長するって嘘ですよね。」宮崎駿 談
この「そらいろのたね」のわくわくどきどきを、そのまんまで、ぜひ感じてくださいね!
(赤鬼こと山ア祐美子)
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