学校法人
認定こども園 聖愛幼稚園

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Last Update: 25/05/17

赤鬼からの手紙・・・1978年から1981年までのたった3年間、甲府の中心地に児童書専門店『赤鬼』と いう小さな本屋さんがありました。当時は希少な絵本中心の児童書専門ということで、地元山梨のみならず 全国にファンが広がっていた素敵な本屋さんでした。その後、一男二女の母となった赤鬼は子育ての大事業を 志し、後に東京都練馬区教育委員会の教育委員を務める等、常に母親の立場から目覚ましい活躍をしてきました。 今も文部科学省委託事業『新教育システム開発プログラム』作成に参画して日本国中を東奔西走しています。 赤鬼と小学校以来の幼馴染の私は、3年ほど前から故郷山梨の子どもたちのために絵本の紹介を 書いてくれるようお願いしてきました。やっとこの2007年5月から毎月お手紙をもらえることになりました。 赤鬼おススメの絵本は、聖愛幼稚園の子育て支援センター『あんぱんくらぶ』の本棚でいつでもご覧いただけます。 なんたって『赤鬼からの手紙』です。どうぞ、お楽しみに。(園長 鈴木)




赤鬼からの手紙(2025年5月号)



『たいせつなこと』

マーガレット・ワイズ・ブラウン さく
レナード・ワイスガード え
うちだややこ やく
フレーベル館


   あたりの木々の緑も濃くなってきました。山々も、もくもくと雲がわくように多くの緑を抱えています。花々は、一雨ごとに色鮮やかに咲き誇っています。風はどうでしょう・・・。 頬に気持ちよくそよいで、鯉のぼりの鯉たちを元気に泳がせています。 1年で一番、わくわくした気分にさせてくれるのが5月の風です。 木々も花々も、昆虫や鳥たちも、空も雲も風も雨も太陽も、私たちのまわりにあるすべてのものたちは、自分たちのあるべき姿を伝えてくれています。 さて、私たち人間は、どうでしょうでしょうか、あなたはどうですか・・・

コオロギに とって たいせつなのは くろい と いうこと
グラスに とって たいせつなのは むこうがわが すけてみえること

スプーンは
たべるときに つかうもの
てで にぎれて くちの なかに あうんと おさまり
たいらじゃ なく くぼんでいて ちいさな シャベルみたいに
いろいろな ものを すくいとる
でも スプーンに とって たいせつなのは
それを つかうと じょうずに たべられる と いうこと

ひなぎくに とって たいせつなのは しろく あること

あめに とって たいせつなのは みずみずしく うるおす と いうこと

くさは みどり
くさは おおきく のびて あまく あおい においで
やさしく つつみこんでくれる
でも くさに とって たいせつなのは
かがやく みどり で あること

ゆきに とって たいせつなのは いつも かわらず しろい と いうこと

りんごに とって たいせつなのは たっぷり まるい と いうこと

かぜは ふく
かぜは めに みえないけれど ほおで かんじることが できて
こずえを ゆらし ぼうしを ふきとばして ふねを はこんでいく
でも かぜに とって たいせつなのは
ふく と いうこと

そらに とって たいせつなのは いつも そこに ある と いうこと

くつに とって たいせつなのは あしを つつんでくれる と いうこと

あなたは あなた
あかちゃんだった あなたは からだと こころを ふくらませ
ちいさな いちにんまえに なりました
そして さらに
あらゆることを あじわって おおきな おとこのひとや おんなのひとに
なるのでしょう
でも あなたに とって たいせつなのは

あなたが あなたで あること

   2001年9月の初版から2021年6月で60刷の版を重ねるベストセラーです。 世界中で読み継がれてきた「おやすみなさいのほん」のマーガレット・ワイズ・ブラウンが贈る「The Important Book」この素敵な絵は、カルデコット賞受賞画家のレナード・ワイスガード。そして、訳はあの内田也哉子さん。俳優樹木希林さん、ロックシンガー内田裕也さんの一人娘さんです。独特な環境の中で育まれ、立て続けに両親を失った後も、3人の子育てをしながら、多くの言葉を伝え、様々な発信をなさっています。

   あとがきに内田さんの言葉が添えてあります。〜さまざまなきもちを心の虫めがねでじっくりのぞき込むようにして、翻訳にたずさわった〜と。ワイズによって、表されたいろんなものたちの言葉を、一つ一つ丁寧に見聞きしつつ、敬意をこめた日本語に聞こえてきます。そして、最後のページの「あなたが あなたで あること」この自筆は、旦那様の本木雅弘さんが書かれたそうです。互いを思いやるご夫婦のおもいが絵本からも伝わってきます。

   この場では、ほんの少ししか伝えられていませんが、ぜひ手に取って、絵本に表されたすべてのものたちの声を聞いてください。そして、すぐそばにある、あらゆるものの本来の大切さに気づくことで、私たちにとって大切なものとして、ワイズ・ブラウンが投げかける、「あなたが あなたで あること」を考えてみませんか?

(赤鬼こと山ア祐美子)

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赤鬼からの手紙(2025年4月号)



『 やさしいライオン 』

作・絵 やなせたかし
フレーベル館く


   新年度が始まりました。あたりの山々は黄緑色に芽吹きはじめ、花々が咲き誇る日々もすぐそこです。春の陽気に包まれると、人は気持ちも穏やかに優しくなれるような気がします。 この陽ざしの中で、新しいことに出会い、新しい人に出会うのはウキウキしてきませんか?
♪〜手のひらを太陽に すかしてみれば まっかに流れる ぼくの血潮(ちしお)〜♪
思わず、手のひらを太陽に向けて・・・やってみたくなるような新しさに満ちた陽ざしです。 「手のひらを太陽に」 この歌詞を書かれたのは、やなせたかしさんです。 新年度に向けて、やなせたかしさんの絵本をお届けします。

ある くにの やがいどうぶつえんに みなしごの ライオンが いました。
いつも ぶるぶる ふるえていましたから なまえは ブルブル。
めすいぬの ムクムクが ライオンの おかあさんの かわりを することになりました。
ムクムクは ブルブルに こもりうたを うたって きかせました
ブルブル いいこね
ねむりなさい
ねむりなさい
ミルクを たくさん のみなさい
たくさん たくさん のみなさい
ブルブル いいこね
ねむりなさい
ムクムクは ブルブルに いろんな しつけを しました。
ブルブルは ムクムクに そだてられて やさしい ライオンになりました。
ブルブルは おかあさんよりも おおきくなって りっぱな ライオンになりました。
あるひ ブルブルは とかいの どうぶつえんに うつされることになったのです。
ブルブルとムクムクは はなればなれに なりました。
ブルブルは サーカスの にんきものに なっていました。
でも よるになると おもいだす ムクムクの こもりうた。
その よる とおくの ほうで あの なつかしい こもりうたが きいこえてきたのです。
おかあさんだ! ブルブルは おりをやぶって ものすごい ちからで とびだしました。
はしれ!ブルブル きんいろの かぜのように
はしれ!ブルブル ひかる やのように
はしれ!ブルブル たてがみを なびかせて はしれ! はしれ!
ライフルを もった けいかんたいが ライオンをおいかけます。
ブルブルは すっかり としをとって しにそうな ムクムクを みつけました。
「おかあさん こんどこそ はなれないで いっしょに くらそうね」
そのとき けいかんたいの たいちょうは「うて!」と めいれいしました。
  うっては いけないのに ブルブルは とても やさしい ライオンなのに
ブルブルは ムクムクを しっかりと むねに だいて たおれていました。
その よるの こと としよりの いぬを せなかに のせた ライオンが とんでいくのを みたと いう ひとが なんにんも いました。

   もう、NHKTV朝ドラ「あんぱん」が始まっていますね。やなせたかしさんと奥さんの、のぶさんがモデルのドラマです。もう、あちこちで、やなせさんの話題でいっぱいです。 この「やさしいライオン」は、1967年にやなせさんが手がけたラジオドラマが始まりだそうです。それを、やなせさんとの仕事で、その腕を絶賛した手塚治虫さんがポケットマネーでアニメ映画化したのだそうです。短編小説、紙芝居、等々でも描かれ、絵本として出版されたのは、初版は1975年、私の書店本棚にはいつも並んでいた絵本の一つです。

   フレーベル館のサイトには、こんなエピソードが掲載されています。引用します。
〜このお話は、当時報道された2つの記事、 ドイツの動物園で犬がライオンを育てた記事と、サーカスの猛獣が逃げ出して射殺されてしまった記事をきっかけに描かれています。 なぜそこまでそのエピソードに入れ込み、制作を重ねたのか。 それは5才で父を失い、7才で母と別れ、叔父夫婦に引き取られたやなせ先生の生い立ちに起因するものでした。 種を超えた愛情で繋がるブルブルとムクムクの姿に、実母への思慕や、自分と養父母の姿を重ね合わせ、警官隊に撃たれたやさしいライオンの悲しいシーンでは、自身の戦争体験、最愛の弟を戦争で亡くした悲しみを込め、「熱涙」を流しながら描いたそうです。 先生は、この作品についてこう語っておられます。 「子どもの読み物として残酷すぎるのではないかといわれる方もいるかと思いますが、人生の悲痛については眼をそむけるべきではないと考えています。・・・私は愛と勇気について語りたかったのです。」〜

   「やさしいライオン」がなかったら、アンパンマンもなかったと語られているのを聞いたことがあります。 絵本の巻末には「ブルブルの子守歌」の譜面もちゃんと、載っています。 多くの歌詞も手掛けられたやなせさんには、音楽も大きな支えだったのでしょう。 東日本大震災の折、「アンパンマンのマーチ」にも、リクエストが殺到しました。 やなせさんは、病の体をおして、支援を続けられました。
「おそれるな がんばるんだ 勇気の花がひらくとき ぼくが空をとんでいくから きっと君をたすけるから」 とメッセージを送られました。 アンパンマンのマーチの中には
「なんのためにうまれて なにをして生きるのか こたえられないなんて そんなのはいやだ!」
この歌詞も、心に刺さります。

   私事ですが、昨年、古い段ボール箱の中から、私の名宛のやなせさんの挿絵の入った直筆色紙が見つかりました。 あったことも忘れていた色紙にびっくりして記憶をたどりました。 二十歳の大学生の頃のこと、直接お会いしてその場で描いて頂いたのだと思います。 まわりに人も多くなく、ゆったりとした時間だったように記憶しています。 きっと何かお話もさせて頂いたのだと、おぼろげながらですが、筆を走らせるやなせさんの横顔を思い出します。
「ほほえむことを 忘れちゃいけない すぎたことなど 夢とおなじさ」1974・2・10
50年前の言葉なのに色褪せることなく、永遠の言葉のように、今も語りかけてくれます。

(赤鬼こと山ア祐美子)

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赤鬼からの手紙(2025年3月号)



『 ふるさとはフクシマ 子どもたちの3・11 』

NPO法人 元気になろう福島/編
文研出版 えほんのもり


   年々暖冬とは言われながら、今冬は大雪に見舞われた地域も多くありました。こんなに多い雪は初めてだというニュースも度々聞かれ、雪下ろし等で命を奪われた方々もいました。気候は確実に不確かなものに変化しています。これは、日本だけのことではなく世界中が差し迫った不順を享受しています。3月の声を聞くと、待ち遠しい春ですが、やはり、この日を覚えます。2011・3・11 東日本を襲った大震災、津波、原発事故 その日から1年が 過ぎた頃、被災した子どもたちの生の声を伝えた絵本です。

 私たちは、東日本大震災・福島第一原子力発電所の事故により被災した福島の子どもたちが、自分たちの力で未来に向かって生きていくのを応援するために、この出版プロジェクトを立ち上げました。プロジェクトの中心は、かけがえのない生命、その尊さを語り継ぐ福島の子どもたち。そして、ボランティアで参加いただいた画家、絵本作家の方々です。福島の子どもたちが、被災の体験を作文にし、画家、絵本作家の方々が、子どもたちの作文から受けた想いを、絵に表しました。福島の子どもたちの体験を多くの方々と共有し、かけがえのないものとするために、それぞれの想いをつむいだこの本を、多くの言語に翻訳し、世界中の人々に届けることも考えています。本書の売り上げの一部は、福島の子どもたちが「新しい福島」『うつくしま』を創っていくための基金とします。子どもたちが自分たちで作りだす、自分たちのための基金です。子どもたちが、それぞれの自分の体験を見つめ、言葉にする。そこから、これからを生きる福島の子どもたちの第一歩がふみだされることを願っています。

NPO法人元気になろう福島 理事長 根本二郎

「浜ばあちゃんと私」  新地町立福田小学校4年 荒 美祐
「地しんのあった日」  大熊町立熊町小学校2年 油井 紅音
「東日本大震災」    伊達市立富成小学校4年 菅野 亜実
「大きかった地しん」  福島市・あづま総合運動公園避難所にて 荒木 咲嬉
「ありがとう」     郡山市立赤木小学校6年 村上 澪奈
「恐ろしい大地震」   郡山市立赤木小学校4年 高野 葉月
「ひなんをして」    大熊町立大熊小学校3年 寺内 りほ
「大きなじしん」    伊達市立富成小学校2年 さとう ゆら

「あの日からのさけび声」郡山市立赤木小学校6年 小林 奈々
 大きな悪魔がいかりだす
 どこからともなく
 助けを求めるさけび声
 心がやみに包まれる
 悪魔が私達を
 おいこんでいく
 「消えてほしい」
 「なんで私達がこんな目に」
 「助けてください」
 「悪魔なんていなくなれ」
 いかり苦しみ にくしみさびしさ
 洪水のようにあふれだす
 あふれる思い 届いてほしい
 世界中の人達に

「あぶない!」     新地町立福田小学校4年 三瓶 泰輝
「原発のえいきょうでのひなん」 郡山市立芳山小学校3年 古川 裕貴
「無題」        新地町立福田小学校4年 門馬 巧

「聞けない」      郡山市立赤木小学校6年 金子 健
 どうしてだれもこないのか
 ぼくはなんにも悪くない
 ぼくは病気? 病気じゃない?
 みんなあいつのせいなんだ
 ブランコゆれた、気のせいか
 風が笑って過ぎてった
 子どもの声はもう聞けない
 子どもの声はもう聞けない

「3月11日東日本大震災」 南相馬市立石神第二小学校6年 菅野 莉奈
「こわかった、あの日」 いわき市立上遠野小学校3年 松田 結愛

   あの日から14年がたちました。この作文を書いた子どもたちも、すっかり大人になっていることでしょう。どんな日々を過ごしてきたでしょうか。きっと寄り添う人々に巡り合えて、前を向いて、新たな人生を豊かに歩んでいるだろうと、信じています。この場では、 特に心に残った2作品「あの日からのさけび声」、「聞けない」を紹介しました。

   地震、津波による被害からは、少しずつ復興しつつある様子ですが、原発事故被害からは未解決のままです。小学生だった子どもたちが、悪魔とよんだもの、みんなあいつのせいなんだと、書いたものは未だに残されたままです。福島だけで受け止めるものではなく、全世界が抱えていく問題です。この子どもだった頃の言葉が世界中の人びとへ届きますように。

(赤鬼こと山ア祐美子)

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