学校法人
認定こども園 聖愛幼稚園

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Last Update: 19/08/25

赤鬼からの手紙・・・1978年から1981年までのたった3年間、甲府の中心地に児童書専門店『赤鬼』と いう小さな本屋さんがありました。当時は希少な絵本中心の児童書専門ということで、地元山梨のみならず 全国にファンが広がっていた素敵な本屋さんでした。その後、一男二女の母となった赤鬼は子育ての大事業を 志し、後に東京都練馬区教育委員会の教育委員を務める等、常に母親の立場から目覚ましい活躍をしてきました。 今も文部科学省委託事業『新教育システム開発プログラム』作成に参画して日本国中を東奔西走しています。 赤鬼と小学校以来の幼馴染の私は、3年ほど前から故郷山梨の子どもたちのために絵本の紹介を 書いてくれるようお願いしてきました。やっとこの2007年5月から毎月お手紙をもらえることになりました。 赤鬼おススメの絵本は、聖愛幼稚園の子育て支援センター『あんぱんくらぶ』の本棚でいつでもご覧いただけます。 なんたって『赤鬼からの手紙』です。どうぞ、お楽しみに。(園長 鈴木)




赤鬼からの手紙(2019年8月号)



『いのちの木』

ブリッタ・テッケントラップ 著・イラスト
森山 京 翻訳


ポプラ社


   夏の入道雲はもくもくと立ち上がり、力強い気持ちにさせてくれます。 夏の花、向日葵もぐんぐん伸びて成長する喜びを伝えてくれます。 夏はそんな命の輝きを感じさせる季節ですね。 でも、日本では一年に一度亡くなった方への想いを新たにする風習があります。 「お盆」も同じこの夏の時期です。 最近亡くなった方だけでなく、ずっと前に亡くなった方をも含めて思いを寄せる時間を持ちます。 それは、自分の命が自分だけのではなくて繋がった命なんだということや、周りに支えられた命なんだということも伝えてくれる機会になります。 動物たちの間にも、命の繋がりを感じるヒントがあるようです・・・

   もりのキツネは、なかまのどうぶつたちと しあわせにくらしてきましたが、だんだん としをとり、からだもよわってきました。あるひ、キツネはおきにいりのばしょで、まぶたをとじました。キツネのめは、にどと ひらきませんでした。きのうえから みていたフクロウは、とびおりると キツネによりそって すわりました。フクロウのむねは、かなしみで いっぱいでした。ながいあいだの ともだちだったフクロウは、キツネとのわかれがちかいことも、きづいていました。
   一ぴき、また一ぴきと、どうぶつたちが あつまってきました。リス、イタチ、クマ、シカ、トリたち。ウサギやネズミもやってきて、キツネのまわりにすわりました。だれもが だいすきだったキツネ。そのキツネがいなくなってしまうなんて・・・。
   ようやく フクロウがほほえみながら いいました。 「キツネとぼくが わかかったころのはなしだがね。あきになると どっちがたくさん おちばをひろうかって、きょうそうをしたもんだ」みんなも ほほえみを かえしました。 それぞれのむねに、キツネとのおもいでが うかんできたのです。 ネズミ、クマ、ウサギ、リス、つぎつぎにおもいだしました。 キツネは、みんなに いくつものおもいでを のこしてくれました。 みんなは、ほほえみを うかべながら おもいかえしていたのです。 そのころ、キツネがよこたわっていた ゆきのしたから、オレンジのめが ぽっちり でてきました。キツネのおもいでが かたられるたびに オレンジのめはふくらみ のびていったのです。
   ときがたつにつれて キツネとすごした ひびのことが あとからあとから よみがえってきました。 オレンジの木は さらにのびて、うつくしいすがたになり もりいちばんの たかい木に なりました。 キツネの木は、もりのみんなが すめるくらいに おおきくりっぱになりました。 木は、キツネのともだちすべての いのちのちから いきるささえとなったのです。
   キツネは、みんなの こころのなかに、いまも いきつづけています。

   夏は子どもたちにとって、一番生き生きと過ごす季節ですね。 太陽をいっぱいに浴びて、一気に背が伸びる子供もいます。 そんな生命力あふれる8月は、同時に「命」を考える時でもあります。 広島、長崎の原爆投下、終戦記念日と忘れてはならない日が続きます。 また、災害などで多くの命も奪われることもあります。 そんな中で子どもたちと「命」のことを考えることは、大切なことですが難しさも伴います。 今夏の「命」を考える絵本は、戦争や災害などには直接触れたものではありませんが、絵本にとっては身近な動物たちの姿を通して「命」を伝えたいと思います。

   キツネは年を取って亡くなってしまいます。 このキツネが動物のなかまたちにとって、どんな存在だったのか、どれだけ特別な存在だったのか、仲間たちそれぞれの立場で語られていきます。 キツネがいなくなった悲しみをみんなで語り合うことで共有していきます。 そして、木という形でキツネはみんなの中に再生されていきます。 年を取って体が弱くなり亡くなってしまう姿は、子どもたちの中でも家族の一員として経験をもつ人もあるでしょう。 最近はペットの死を思い、自分と同じお墓に入れたいという人もあるそうです。 どんな形でも、「死」を考えることは「命」を考えることに繋がります。 シンプルな絵と落ちついた色使いの表現の中に、それぞれの動物たちの目の奥にある温かい気持ちが伝わってきます。 一人ひとり悲しみには固有な形がありますが、乗り越えるにはどんなことが必要なのか、この絵本は教えてくれているように思います。

(赤鬼こと山ア祐美子)

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赤鬼からの手紙(2019年4月号)



『 だってだってのおばあさん 』

さのようこ さく・え

フレーベル館

   空が高くなって、ひまわりも太陽に向かってぐんぐん伸びてきました。 いよいよ夏本番の装いですね。 山や海、川や高原、たくさんの自然の営みも一層生き生きしてきます。 夏を迎える準備はできていますか?今年の夏休みにはどんなことをしようかなあって、家族と計画を立てるのも楽しみです。 久しぶりにおじいちゃん、おばあちゃんに会いに行く人もいるかもしれませんね。 きっと、首を長くして待っていることでしょう。 おみやげ話をたくさんためておくといいですね。 あらあら、このおばあちゃんは、”だって、だって・・・”ばかり言ってますよ、いったいどうしたんでしょうねえ・・・

あるところに、ちいさな うちがありました。このいえには おばあさんと いっぴきの ねこがすんでいました。おばあさんは98さい、ねこは げんきな おとこのねこでした。ねこは まいにち ぼうしをかぶって つりざおをもって さかなつりにいきました。
「おばあちゃんも さかなつりに おいでよ」と さそいました。おばあさんは
「だって わたしは 98だもの、98のおばあさんが さかなつりをしたら にあわないわ」と ことわりました。そして、おばあさんは いすにすわって、はたけで とれた まめの かわをむいたり、おひるねをしたりしました。
「だって わたしは 98だもの」

さて、きょうは おばあさんの99さいのおたんじょうびです。おばあさんは、あさからケーキをつくりました。ねこは おばあちゃんの つくる ケーキが だいすきでした。
「おばあちゃん ケーキを つくるの じょうずだね」
「だって わたしは おばあちゃんだもの、おばあちゃんは ケーキを つくるのが じょうずなものよ。」
おばあさんは ねこに いいました。「ろうそくを かってきておくれ。99ほんだよ。」
ねこは いそいで いそいで おおいそぎで ろうそくを かいに いきました。
「フン フン ケーキは だいせいこう。これは だいせいこうの におい」
そのとき ねこが おおきなこえで なきながら かえってきました。やぶれた ふくろと ろうそくを 5ほん もっていました。
「5ほんだって ないより ましさ。さあ ろうそくを ケーキに たてておくれ。」
おばあさんは ローソクに ひを つけました。「おばあちゃん、かぞえて」
「1さい 2さい 3さい 4さい 5さい。5さいのたんじょうび おめでとう」
おばあさんは じぶんで じぶんに おいわいを いいました。
「おたんじょうび おめでとう!おばあちゃん、ほんとに 5さい?」
「そうよ、だって ちゃんと ろうそくが 5ほん あるもの。ことし わたし 5さいに なったのよ」と おばあさんは いいました。「ぼくと おんなじ!」
つぎのあさ、ねこは さかなつりに でかけようとしました。「おばあちゃんも おいでよ」
おばあさんは 「だって わたしは 5さいだもの・・・、あら そうね!5さいだから、さかなつりに いくわ」といって おばあさんは げんきよく ねこと いっしょに でかけました。のはらには はなが たくさん さいていました。おばあさんは においを くんくん かぎながら、「5さいって なんだか ちょうちょみたい」・・・
さてさて、5さいになった おばあさんは いったい・・・

   「100万回生きたねこ」でお馴染みの佐野洋子さんですが、この絵本は初期の3作目の作品です。 絵本作家としての作品数は多い方ではないかもしれません。 挿絵、イラスト、デザイン、小説、児童文学、翻訳、脚本、エッセイ等、とても多彩な人でした。 特にエッセイは彼女の人となりが表されるような楽しいものがたくさんあり、佐野さんが亡くなられた今でも、老若男女問わず人気があります。 そんな多くの表現の中でも、彼女独自の言葉と特有な色遣いや線で描かれた絵本の一冊一冊には、人間、動物、自然、社会現象等、あらゆるものへの深い愛情と洞察があるように思えます。

   今回の「だってだってのおばあさん」は1975年、今から44年前の作品ですが、人生100歳時代と呼ばれる現代を予測したかのような思いがしてきます。 とはいえ、佐野さんが描いた頃に出会った世界中のおばあさんはこの予想とは違っていたのかもしれません。 あとがきにはこんなことが書かれています。

”〜私にとっては、あのおばあさんは額に入った絵と同じようになってしまいました。〜たくさんのおばあさんにこの絵本を贈りたいのです。〜だって、おばあさんは一番たくさんの子どもの心をもっているんですもの。”

   医療体制も環境も整い、確かに人間の寿命は延びています。 特に日本の女性の平均寿命は世界一とも言われます。 だから、元気なおばあさんがいっぱい・・・それでも、年齢を抱えながら自分を知るということは、なかなかできにくいものです。 絵本のおばあさんの〜だって〜の言葉は、良くも悪くも様々な固定観念や理由付けを自分に課してしまう言葉の様にも聞こえます。 でもここから、自分を解放して新たな自分に出会うという人生の醍醐味を絵本の中で伝えてくれる佐野さんの手法はお見事!

   98歳になって、5歳の自分に出会えるなんて、なんて素敵なことでしょう! でも、絵本を読んだ子どもたちは、猫と同じように、やっぱり、ケーキが心配ですって・・・ 子どもからお年寄りまで楽しむことが出来る魔法の絵本です。

(赤鬼こと山ア祐美子)


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赤鬼からの手紙(2019年6月号)



『すみれ島』

今西祐行 文
松永禎郎 絵         

偕成社


   初夏のような気候になってきました。梅雨の訪れが聞こえてくるまでは、春を呼んできた花々たちも、頑張って咲いてくれるかもしれませんね。 花屋の店先ではあまり見かけないけれど、道端で小さな紫色を見つけたことはありませんか? 3月から5月ころに咲き誇る、愛らしいすみれの花です。 都会でも、コンクリートの隙間やブロック塀の間から顔を出す姿を見たことがあります。 鼻先を寄せると、ほんのり甘い香りがしてきます。 このすみれにまつわる、悲しいけれど忘れてはならないお話です。 紫の紫陽花にバトンタッチするまで、もしも見かけたら、このお話を思い出してください。

 九州の南のはしに近い海辺に、小さな小学校があった。
昭和二十年、春、毎日のように学校の真上を、日の丸をつけた飛行機が飛ぶようになった。生徒たちがバンザイと、手をふると、飛行機は声が聞こえたかのように、つばさをふって海のむこうに飛んでいった。 先生たちは、それが最期のサヨナラであることを知っていた。
何も知らない子どもたちはなんども学校に飛行機が飛んでくるのを喜んで、手紙や絵を描いて、航空隊におくってもらった。
「飛行機からぼくたちがみえますか?こんどは、もっと大きくつばさをふってください。」
手紙をだしてから、飛行機はほんとうにつばさを大きくふってくれたようにみえた。そんなある日、ひとりの女の子がいいだして、すみれの花束をおくることにした。みんなでつんで、いくつもの花束にして、先生といっしょに航空隊に届けた。すると、いく日かして学校に手紙が来た。

―――――――――――――――――――――
すみれの花を たくさんありがとう。ゆうべは、とてもたのしい夜でした。
ぼくは小さいとき、よく すみれの花で、すもうをしました。
みなさんは知っていますか。
すみれのことを、ぼくたちは〈すもうとり草〉とよんでいました。
すみれの花をからませて、引っぱりっこすると、どちらかの花がちぎれます。
ちぎれたほうが、まけです。
きのう、たくさんすみれをいただいたので、みんなで、それをやりました。
せっかくもらった花を、ちぎってしまって、わるいなと思いながら、
花がなくなるまでやりました。毛布の中を花だらけにしたまま、ねてしまいました。
かすかに、いいにおいがしました。
いま、出撃の号令がかかりました。みなさん、ありがとう。
ゆうべはほんとうにたのしい夜でした。いつまでもお元気で。サヨーナラ。
―――――――――――――――――――――
「このお手紙をくれたかたは、もう、南の海で、戦死しているのよ。
もう、いらっしゃらないのよ・・・」
先生は涙ながらにそう言って、子どもたちにはじめて特攻機のことをくわしく話した。
その日から、子どもたちは、野原のすみれの花がなくなるまで、花束を作って送り続けたのであった。
戦争が終わっていく年かがすぎた。南の島の小さな無人島の一つに、いつからか、いちめんにすみれの花が咲くようになった。いまでも、海辺の人たちは、名前のなかったその島のことを、〈すみれ島〉とよんでいる。

   6月23日を知っていますか? 「沖縄慰霊の日」です。1945年4月1日に米軍が沖縄に上陸して、日本における唯一の本土決戦になりました。沖縄は多くの生命、財産、文化が奪われました。 〜1974年に制定された「沖縄県慰霊の日を定める条例」により、「我が県が、第二次世界大戦において多くの尊い生命、財産及び文化的遺産を失った冷厳な歴史的事実にかんがみ、これを厳粛に受けとめ、戦争による惨禍が再び起こることのないよう、人類普遍の願いである恒久の平和を希求するとともに戦没者の霊を慰めるため(条例第1条)」、6月23日を「慰霊の日」と定めている。〜

   退位された平成天皇は、ヒロシマ、ナガサキの原爆投下の日と共に、忘れてはならない日としてご自分に刻まれ、何度も沖縄への慰霊の旅を続けられました。 6月になると、この日を思います。そして、すみれの花が咲きはじめると、「すみれ島」の絵本を思い出します。 ”特攻花”と呼ばれる花には、すみれの他にも、いろんなものがあります。 タンポポ、サクラソウ、テンニンギクなど、どれもこれも、それぞれの愛らしさで、隊員たちを送り出したのでしょう。 この絵本にある南の海は、沖縄方面でもあります。すみれ島は本当にあるかどうかわかりません。 でも、特攻に消えた隊員の手に握られたすみれの花束から種が根付き、一面にすみれ色に染まった島があるように思えてなりません。

   沖縄は今も、戦争の傷跡に引きずられながらも、人々の暮らしを平和に、穏やかに、そして豊かにするようにと努力されています。 沖縄は今や一大リゾート地でもあり、移住される方も多くなってきました。 それだけに、沖縄の持つ歴史の痛みに皆で心を寄せながら、平和の大切さを伝えていかれればと思います。

(赤鬼こと山ア祐美子)


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