学校法人
認定こども園 聖愛幼稚園

〒400-0071
山梨県甲府市羽黒町618(地図
TEL 055-253-7788
mail@seiai.net


Last Update: 25/05/17

聖書のお話・・・カトリック甲府教会司祭の細井保路先生が 新たに「聖書のおはなし」を連載してくださいます。細井先生は カトリック教会の保育所、幼稚園でたくさんの子どもたちに 関わってこられ、絵本作家としてもご活躍されています。



書き下ろし連載211
大切な言葉
マタイ福音書6章22〜23節

細井保路

   体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、全身が暗い。だから、あなたの中にある光が消えれば、その暗さはどれほどであろう。

   光あふれる世界を見渡せるためには、クリアな目が必要なように、心の中を温かく照らしてくれる光を感じとる心の目も必要だというのです。心の目とは、見えないけれど大切なものを見る目です。

   子どもたちが日々の生活を楽しみ、希望を持つために必要な言葉は、「大好き」と「大丈夫」です。この二つの言葉がまさに見えないけれど大切なものです。

   イエスさまが私たちに伝えてくださったのは、神さまは世界の始めから「あなたを愛している」とささやき続けているということです。しかし、目に見えない、かすかで聞き取れないこのメッセージは、実際には、親から子へと「大好きだよ」という言葉で確かに伝えられているのです。

   そしてイエスさまの死からの復活の意味は、この世界のゴールに辿り着いたイエスさまが、神の光の世界から、「あなたは救われている、ゆるされている」というメッセージを届けてくれているということなのです。愛されているはずの私たちは、その恩に報いるどころか、いとも簡単に忘れてしまうのです。それでも神さまは私たちを愛してくださる、つまり、ゆるしてくださっているというのが復活のメッセージです。

   しかし、小さな子どもは、温かい愛の中にいる限り、大人のように「ゆるし」が必要な状態にはいません。むしろ、大人が厳しい要求をすることなどで傷つくのです。だから、子どもにとっては、「ゆるされている」というメッセージは、周囲の大人の「大丈夫だよ」という慰めと励ましの言葉によって伝えられるのです。

   「大好き」と「大丈夫」という言葉で子どもを包み込んであげることができますように。


戻る


書き下ろし連載210
天から授かった宝
マタイ福音書6章19〜21節

細井保路

   あなたがたは地上に富を積んではならない。 そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。 富は天に積みなさい。 そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。 あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。

   「あなたの富のあるところに、あなたの心もある」という言葉は、味わいのある言葉です。 私が宝だと思うもの、つまり私が一番大事にしているものなのだから、私の心も頭もその宝のことで一杯になっているのです。 では、私が生きていく上で一番大事にしなければならないものは何でしょうか。 「愛が一番」とか「健康第一」とか、「やはりお金が大事」という人もいることでしょう。 一つに絞れないし、どれが正しいと決められるものでもありません。 でも、大事だと思うものは失いたくないし、奪われないようにいつも心配しなければなりません。 いずれ失うもの、いずれ手放さなければならないものに執着するだけで一生を終えていいのか?とイエスさまは問いかけておられるのです。

   そして、「富は天に積みなさい」と言われるのです。 マタイ福音書の5章45節の言葉を思い出してみましょう。 「天の父は悪人にも善人にも太陽を昇らせる」。 私たちは天からの恵みを受けて生きており、天が望むものは「すべてのものの幸せ」だと言うメッセージです。 「すべてのものの幸せ」を願う心を私たちは天から授かっているのです。 目先の様々なものに執着しているうちに、決して人が手放してはならない「みんなの幸せを願う心」を失わないようにとイエスさまは願っているのです。

   急に自分中心の考えを改めるのは難しくても、「みんなの幸せを願う心」を忘れないでいようと思うことは、決して難しいことではありません。


戻る


書き下ろし連載209
ゆるしに包まれて
マタイ福音書6章14〜15節

細井保路

   もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。

   「主の祈り」を教えられた後に、イエスさまは念を押すようにゆるしについて語ります。人をゆるさなければ、あなたもゆるされないと言うのです。とても素直には受け入れられないメッセージです。しかし、イエスさまは、私たちの手に負えないような理想を突きつけているのではなくて、別の2つのことに気づかせようとなさっているのです。

   ひとつは、いつの時代にも絶えることのない戦争や紛争の根っこには、相手をゆるさないという根本的な罪があるということです。自分の方が正しいと思うところまで遡れば、悪いのは必ず相手の方になり、私たちはゆるすことができなくなります。日常の多くのトラブルも、「ゆるせない」「ゆるさない」という感情から生まれてきます。簡単に克服できない感情です。

   しかし、人間社会の底辺にドロドロと渦巻くこの情けない感情とは裏腹に、神さまのゆるしはとんでもなく大きいのです。「あなたが人をゆるすことが出来たら、神のゆるしの大きさに気づきますよ」ということは、言い換えれば、「神のゆるしの大きさに気づいてしまえば、あなたは人をゆるせるでしょう」と言っていることになります。私たちは圧倒的な神のゆるしの内に生きているのだということに気づきなさいとおっしゃっているのです。

   寛大な人間になろうという高い理想を抱くより先に、神さまのゆるしの大きさを思い描くべきなのです。私たちはそのどこまでも大きなゆるしに包まれている存在なのだということを思い出してみましょう。そのありがたさに気づけば、ゆるすことまではあとほんの一歩のはずです。


戻る








Copyright © 2024, SEIAI Yochien.
本ページと付随するページの内容の一部または全部について聖愛幼稚園の許諾を得ずに、
いかなる方法においても無断で複写、複製する事は禁じられています。
mail@seiai.net