あなたがたは地上に富を積んではならない。
そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。
富は天に積みなさい。
そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。
あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。
「あなたの富のあるところに、あなたの心もある」という言葉は、味わいのある言葉です。
私が宝だと思うもの、つまり私が一番大事にしているものなのだから、私の心も頭もその宝のことで一杯になっているのです。
では、私が生きていく上で一番大事にしなければならないものは何でしょうか。
「愛が一番」とか「健康第一」とか、「やはりお金が大事」という人もいることでしょう。
一つに絞れないし、どれが正しいと決められるものでもありません。
でも、大事だと思うものは失いたくないし、奪われないようにいつも心配しなければなりません。
いずれ失うもの、いずれ手放さなければならないものに執着するだけで一生を終えていいのか?とイエスさまは問いかけておられるのです。
そして、「富は天に積みなさい」と言われるのです。
マタイ福音書の5章45節の言葉を思い出してみましょう。
「天の父は悪人にも善人にも太陽を昇らせる」。
私たちは天からの恵みを受けて生きており、天が望むものは「すべてのものの幸せ」だと言うメッセージです。
「すべてのものの幸せ」を願う心を私たちは天から授かっているのです。
目先の様々なものに執着しているうちに、決して人が手放してはならない「みんなの幸せを願う心」を失わないようにとイエスさまは願っているのです。
急に自分中心の考えを改めるのは難しくても、「みんなの幸せを願う心」を忘れないでいようと思うことは、決して難しいことではありません。
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もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。
「主の祈り」を教えられた後に、イエスさまは念を押すようにゆるしについて語ります。人をゆるさなければ、あなたもゆるされないと言うのです。とても素直には受け入れられないメッセージです。しかし、イエスさまは、私たちの手に負えないような理想を突きつけているのではなくて、別の2つのことに気づかせようとなさっているのです。
ひとつは、いつの時代にも絶えることのない戦争や紛争の根っこには、相手をゆるさないという根本的な罪があるということです。自分の方が正しいと思うところまで遡れば、悪いのは必ず相手の方になり、私たちはゆるすことができなくなります。日常の多くのトラブルも、「ゆるせない」「ゆるさない」という感情から生まれてきます。簡単に克服できない感情です。
しかし、人間社会の底辺にドロドロと渦巻くこの情けない感情とは裏腹に、神さまのゆるしはとんでもなく大きいのです。「あなたが人をゆるすことが出来たら、神のゆるしの大きさに気づきますよ」ということは、言い換えれば、「神のゆるしの大きさに気づいてしまえば、あなたは人をゆるせるでしょう」と言っていることになります。私たちは圧倒的な神のゆるしの内に生きているのだということに気づきなさいとおっしゃっているのです。
寛大な人間になろうという高い理想を抱くより先に、神さまのゆるしの大きさを思い描くべきなのです。私たちはそのどこまでも大きなゆるしに包まれている存在なのだということを思い出してみましょう。そのありがたさに気づけば、ゆるすことまではあとほんの一歩のはずです。
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あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。だから、こう祈りなさい。
「天におられるわたしたちの父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。御心が行われますように。天におけるように地の上にも。わたしたちに必要な糧を今日与えてください。わたしたちの負い目を赦してください。わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から数ってください。」
「御国が来ますように」という祈りは、神さまが治めてくださる世界が実現しますようにと願っているのです。最終的に訪れるであろう神さまが治める世界は、この地上ではなかなか実現しません。なぜならば、神さまは、身を低くして、すべての存在を支え、引き上げ、その価値を高めるような仕方で世界を治めようとなさるからです。それに反して、この世の支配者は、権力を握ると自分の都合のいいようにすべてを支配しようとします。そして抑圧されたり切り捨てられたりする人の苦しみが生まれてしまうのです。
「御心がおこなわれますように」という祈りは、神さまが望んでおられる世界が、この地上でも実現しますようにという祈りです。つまり、「御国が来ますように」という祈りと同じことを言っているのです。すべてのものが神さまのところまで引き上げられるようにというのが神さまのお望みです。つまり、「すべてのものの救い」です。さらに平易な言葉に言い換えれば、「みんなが幸せになること」です。神さまが望んでおられるのは、ただ一つ、みんなが幸せになることなのです。とりあえず自分の好きな仲間だけ幸せならいいというような私たちの狭い心ではいけないのです。お互いの幸せを願い、お互いの存在を高め合うことができますように。
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