学校法人
認定こども園 聖愛幼稚園

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Last Update: 25/07/05

聖書のお話・・・カトリック甲府教会司祭の細井保路先生が 新たに「聖書のおはなし」を連載してくださいます。細井先生は カトリック教会の保育所、幼稚園でたくさんの子どもたちに 関わってこられ、絵本作家としてもご活躍されています。



書き下ろし連載213
思い悩むな
マタイ福音書6章25、33〜34節

細井保路

   自分の命のことで、何を食べようか何を飲もうかと、 また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。 命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。 ・・・何よりものまず、神の国と神の義を求めなさい。 そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。 だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。 その日の苦労は、その日だけで十分である。

   「空の鳥や野の花をちゃんと養ってくださる神さまは、あなたたちのことを忘れていない」と語る イエスさまの言葉の、最初と最後の部分です。

   健康のために何を食べるか、季節に合わせて何を着るか、 ということに私たちは日々気を使っています。 そんな贅沢な悩みではなく、食べる物がなければ飢え死にする、 着る物がなければ寒さをしのげない、という状況に置かれている人もいます。 いずれにしても、衣食住のこと、それを維持するための経済のことで私たちの頭は一杯になってしまっています。

   この先どうしていったらいいかと悩み、不安を抱える人もいます。 生活の維持に関心が集中すると、この命を与えてくださった神さまのことを忘れてしまいます。 生かされていることへの感謝を忘れてしまうのです。 だから、「神の国と神の義を求めなさい」とおっしゃるのです。 私がうまく生きていくためにどうすればいいかということだけを考えるのではなくて、命を与えてくださった神さまのお望みが実現するように願い求めなさいと言っているのです。 神さまのお望みは「すべてのものの幸せ」です。 「私の幸せ」だけを追求するあまり、この世界の向かうべき道を忘れてしまわないようにという警告でもあります。

   「思い悩むな」というのは、「なるようになる」という無責任の勧めではなく、何事も自分で抱え込まないで、もっと神さまにお任せしましょうということです。


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書き下ろし連載212
本当のしあわせ
マタイ福音書6章24節

細井保路

   だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。

   富んでいること、豊かであることこそ幸せだと私たちは思っています。 豊かな暮らしができることこそ幸せだと思い込んでいるのです。 そしていい暮らしにあこがれ、そのために様々な努力もします。 生活水準を気にしたり、損得でものごとを考える癖もあります。 すべてを経済価値に置き換えて見てしまうのです。 いつの間にかお金に縛られて生きているので、どんなこともお金に換算して考えるようになってしまっているのです。 ちょっと得したら、そこに喜びはあるかもしれませんが、しかし、それは幸せとは違うものだということを心のどこかで私たちは知っているのです。

   子どもが小さな紙切れに書いてくれた手紙は、高価なものではありませんが、とてもうれしい大切なものです。 子どもと手を繋いで風に吹かれて散歩しても、一銭にもなりませんが、大切な何かを感じ取れる時間です。 「富」とは無縁の、むしろ対極にあるようなところに、幸せが用意されていることを本当は私たちはちゃんと知っているのです。 でも、豊かな生活の先に幸せがあると思わされているので、お金に換算できないようなものには心が動かなくなってしまうのです。

   この世の金銭的な富に換算できない、むしろ場合によっては損でしかないようなところにこそ本当の幸せは潜んでいるのだとイエスさまはおっしゃるのです。 「神」とは、私たちが損得勘定抜きであたりを見回したとき見えて来るものです。 子どもの寝顔や、四季の移ろいや、昇る朝日や、夜空に浮かぶ月。 ちょっとだけ「富」から離れて、「神」を味わってみましょう。 「富」に心を奪われて、本当の幸せ見失ってしまわないように。


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書き下ろし連載211
大切な言葉
マタイ福音書6章22〜23節

細井保路

   体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、全身が暗い。だから、あなたの中にある光が消えれば、その暗さはどれほどであろう。

   光あふれる世界を見渡せるためには、クリアな目が必要なように、心の中を温かく照らしてくれる光を感じとる心の目も必要だというのです。心の目とは、見えないけれど大切なものを見る目です。

   子どもたちが日々の生活を楽しみ、希望を持つために必要な言葉は、「大好き」と「大丈夫」です。この二つの言葉がまさに見えないけれど大切なものです。

   イエスさまが私たちに伝えてくださったのは、神さまは世界の始めから「あなたを愛している」とささやき続けているということです。しかし、目に見えない、かすかで聞き取れないこのメッセージは、実際には、親から子へと「大好きだよ」という言葉で確かに伝えられているのです。

   そしてイエスさまの死からの復活の意味は、この世界のゴールに辿り着いたイエスさまが、神の光の世界から、「あなたは救われている、ゆるされている」というメッセージを届けてくれているということなのです。愛されているはずの私たちは、その恩に報いるどころか、いとも簡単に忘れてしまうのです。それでも神さまは私たちを愛してくださる、つまり、ゆるしてくださっているというのが復活のメッセージです。

   しかし、小さな子どもは、温かい愛の中にいる限り、大人のように「ゆるし」が必要な状態にはいません。むしろ、大人が厳しい要求をすることなどで傷つくのです。だから、子どもにとっては、「ゆるされている」というメッセージは、周囲の大人の「大丈夫だよ」という慰めと励ましの言葉によって伝えられるのです。

   「大好き」と「大丈夫」という言葉で子どもを包み込んであげることができますように。


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