学校法人
認定こども園 聖愛幼稚園

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Last Update: 20/05/02

聖書のお話・・・カトリック甲府教会司祭の細井保路先生が 新たに「聖書のおはなし」を連載してくださいます。細井先生は カトリック教会の保育所、幼稚園でたくさんの子どもたちに 関わってこられ、絵本作家としてもご活躍されています。



書き下ろし連載151
相手を思う幸せ
ルカ福音書9章23−27節

細井保路

   「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の身を滅ぼしたり、失ったりしては、何の得があろうか。・・・ここに一緒にいる人びとの中には、神の国を見るまでは決して死なない者がいる。」

   「神の国を見るまで死なない」というのは随分大げさな表現に聞こえますが、「生きている間に神の国を見る」と言い換えてみれば、イエスさまの言いたかったことがわかります。天国は死後に用意されているだけではなく、この人生を生きている間にもいつも味わうことができると言っているのです。ただし、神からの恵みに包まれて、いつも穏やかな心で感謝のうちに生きるためには、そういう境地を手に入れるためには、一つ条件があるのです。それが、「自分を捨てなさい」ということなのです。

   世捨て人になれと言っているのではないのです。世捨て人はむしろ自分の強いこだわりを捨てていない人です。「自分を捨てる」とは、自分の利害や権利にこだわったりとらわれたりしないことです。しかも、こだわりを捨てようと頑張ることでもないのです。実はわたしたちは、正しく「自分を捨てる」ということを無意識のうちにやっているのです。譲り合うとか、相手を受けいれるとか、相手のために何かを準備するときに、自分が得したいという気持ちは自然に消えているものです。まさに子育てをしているとき、わが子のために私たちがしていることは、イエスさまが教えている「自分を捨てる」ことなのです。イエスさまは「わたしのために命を失う者は、それを救う」と言われました。大切な相手のことを思って行動していること、それができることが本当に幸せなのだと気づきましょう。

   家族が一緒にいる時間が多い今こそ、この幸せを再確認するよいチャンスです。


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書き下ろし連載150
自由な心
ルカ福音書9章18ー20節

細井保路

   イエスがひとりで祈っておられたとき、弟子たちは共にいた。そこでイエスは、「群衆は、わたしのことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。弟子たちは答えた。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『だれか昔の預言者が生き返ったのだ』と言う人もいます。」イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「神からのメシアです。」

   私たちは、新しい何かに出会うと、自分の持っている知識や経験の中から似ているものを探しだし、ほぼそれと同じだと安心してしまいます。新しいことに対応するのは面倒だし、未知の事柄には不安がつきまといます。こうして、新しいことが受け入れられるのには時間がかかるのです。

   イエスさまの教えの新しさに飛びついた人たちも、多くは戸惑いを感じていたのです。現状の閉塞感を打破してくれるような人を求めてはいるけれど、「自分を捨てよ」というような過激な発言にはとてもついていけないと感じるのです。

   それでも、いつも一緒に行動していた弟子のペトロは、「あなたこそメシアです、つまり私にとっての救い主です。」と答えたのです。ペトロはイエスさまを見習うことで、「救われた」と感じた、心が自由になったと実感したのです。私たちは、因習や、世間の目や、くだらない思い込みや、間違った知識などに囚われていて、自由に発想し自由に行動することが案外できていません。何事も「神に立ち帰る」ところから再スタートするならば、もっと自由な軽快な心を取り戻すことができるということを教わったのです。

   私たちは十分自由に考え、自由に行動していると思っていますが、案外自分で自分を縛ってしまっていることに気づいていません。心と体の緊張を解くならば、もっと軽やかな気持ちを取り戻すことができるはずです。


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書き下ろし連載149
問題解決の道
ルカ福音書9章12ー17節

細井保路

   日が傾きかけたので、12人はそばに来てイエスに言った。 「群衆を解散させてください。そうすれば、周りの村や里へ行って宿をとり、食べ物をみつけるでしょう。わたしたちはこんな人里離れた所にいるのです。」・・・イエスは弟子たちに、「人々を50人ぐらいずつ組にして座らせなさい」と言われた。弟子たちは、そのようにして皆を座らせた。すると、イエスは5つのパンと2匹の魚を取り、天を仰いで、それらのために讃美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせた。すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、12籠もあった。

   わずかなパンを何千人もの人に分け与えたというのはなかなか信じがたい話です。状況を想像しようと思ってももう一つイメージが湧きません。それにもかかわらず弟子達はこのエピソードを伝えようとしたのです。彼らにとっては大切な体験だったからです。

   出来るはずが無いと初めから諦めていたことが、イエスさまと一緒だったら出来たという体験です。そこには、私たちが問題を解決するときの大切なヒントがみつかります。第一に、手に負えないと思える大勢の人たちを小さなグループに分けて座らせました。漠然とした不安や焦りに負けそうなとき、取り組めるサイズの問題として整理してみるということです。次に、天を仰いで讃美の祈りを捧げました。私たちは、問題と向き合ったり、相手と向き合ったりすることはあっても、その前に、一緒に神に向かって祈るということを忘れています。通常私たちは、自分と相手のどちらが優位にたつか、どちらが正しいかということばかりを考えます。親子の間で問題が生じたときでも、まず同じ方向を向いて祈ることさえできたら、対等な関係になれるものです。そのとき、相手を責めたり、問題のせいにしたりしない解決の道が初めて見えてくるのです。

   「扱える問題として受け止める」、「共に祈りながら道をさぐる」という姿勢を大切にしましょう。


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