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赤鬼からの手紙(2022年8月号)



『なきむしせいとく』
沖縄戦にまきこまれた少年の物語

たじまゆきひこ

童心社 刊

   今年も暑い真夏がやって来ます。命について考えねばならぬことが迫ってくる8月。 広島・長崎の原爆投下、そして終戦・・・二度と起きないだろうと、願ってきたはずの平和。 77年がたった現在に「戦争」が起きてしまっていることを日々実感させられています。 あの忌まわしい戦いのなか、日本でたった一つの地上戦を強いられたのが沖縄県でした。 ずっと沖縄の人々を思い、学ぶことを継続してきた絵本作家、渾身の最新作をお伝えします。

ここは 一九四五年の沖縄です。ぼくのなまえは、なかま せいとく。 いつも ないているので みんなから 「なちぶー」(泣き虫)とよばれています。 ぼくが生まれる前から、日本は中国と戦争をしていました。 そして、アメリカとも戦争を始めたのです。 おとうも三十歳をすぎているのに兵隊になっていきました。 中学生のけんとくにいにいまでも、鉄血勤皇隊になって、軍隊に入りました。 「せいとく、いつまでも なちぶーじゃいかんぞ。おまえがアンマー(お母さん)ときぬ子をまもっていくんだぞ」 三月のおわりごろ、アメリカの軍艦が島を取り囲みました。 「このあたりは あぶなくなってきたから、南へにげることになったよ」アンマーがにもつをまとめました。 「この家をすてていくなんて いやだよ」ぼくは、はしらにかじりついて 泣きました。 でも ひとりはこわいから、アンマーにつていくことにしました。 昼間は、森の中に隠れて、夜になってからあるきました。大きなガマ(どうくつ)がありました。 「やっと ゆっくり ねむれそうだ」アンマーがつぶやくと、ガマの奥から日本兵が出てきて、「おまえたちは さくせんのじゃまだ。すぐにたちされ。」とにらまれました。 今夜もアダンのしげみにかくれてすごすしかなくなりました。 四月、みたこともないほどのおおぜいのアメリカ兵が海からあがってきました。 それでも、日本兵はかくれたままです。まいにち、まいばん ぼくたちは ばくだんの中をにげまわりました。
「首里城がもえてるぞ」だれかがひめいをあげました。そのとき、日本軍の反撃が始まりました。 大きなアメリカの戦車がまちかまえ、日本の戦車も兵隊も、すぐにつぶされて、ぼくたちもたたかいの中にまきこまれてしまいました。 おおくの人がきずつき、たおれていきました。たどりついた大きなガマでやっと手足を伸ばしてねむることができました。 いままでのおそろしいできごとがゆめにでてきて、ぼくは声をあげてなきました。 「こら!そんな声をだずと てきにみつかるじゃないか!」ガマの奥から兵隊がでてきました。 近くのあかちゃんがなきだして、なきやみません。 「なきやまないなら、ころしてしまえ」おかあさんがゆるしてくださいと、ひっしにたのみましたが、女の人のさけびといっしょにあかちゃんの泣き声がやみました。 ぼくさえ なかんかったら あかんぼうは殺されなかったのに・・・そうかんがえるとなみだがとまりませんでした。 5月は沖縄は梅雨の季節です。何日も降り続く雨の中を、眠りながら歩きました。 たくさんの死体がころがっているのに、もうなにもかんじなくなっていました。 焼け残った大きな家にはいろうとした、そのとき、艦砲射撃が命中、中の人は飛び散り、アンマーのおなかがさけて、たくさんの血がふきだしています。 砲弾のなか、アンマーを失い、きぬ子とも生き別れしてしまいました。 その後、混乱した中で、ぼくはアメリカ兵に助け出されました。 「この子、いきてるわよ」ひめゆり学徒隊のねえねえの声のようでした。 アメリカのおいしゃさんがぼくをみてくれています。 ぼくは左手がなくなっていました。数日ねむりつづけ、目を覚ましたとき、ようやくじぶんにおきたことがわかってきました。 ぼくはなきません。てがなくなっても、なきません。
戦争が終わって 十年になります。ぼくは、高校生、きぬ子は中学生になりました。 みんなで畑をつくり、やっと作物がとれるようになったとき、アメリカ―に土地を取り上げられてしまいました。 今はアメリカ―に占領されています。 でも、沖縄が日本に戻ったら、こんなものはすぐに なくしてしまうさあ。 だって、戦争のくるしみを一番しっているのは、ぼくたちなんだから。

   「じごくのそうべえ」は、私にとって大好きな絵本の代表格です。 田島征彦さんの描く世界は、人への愛情にあふれています。 日本古来の色使いを思わせる型染手法も、田島さんならではの唯一無二の存在感があります。 そんな田島さんは、沖縄へずっと思いを寄せてきました。 沖縄関連の絵本も、何冊か出版されています。 40数年通い続け、沖縄の人々に寄り添い、一番伝えたかったことを、真正面から取り組まれた「なきむしせいとく」は田島さんの集大成とも言われる絵本になりました。 ここでは、かなり抜粋してお伝えしましたが、ぜひ手に取ってじっくりと読んでいただきたいです。

   沖縄戦と言えば、同じ表現者、絵本作家としても活躍された丸木俊・位里夫妻の絵を思います。 佐喜眞美術館で見た大きな絵も、その悲惨さ、悲しさ、怒り、命が迫ってきます。 田島さんが、この絵本に向かう視点は「もしもあの戦争中に、僕自身が沖縄にいたらどうしていたか。」ということでした。 あくまで、戦争のみに焦点を当てて描かれました。 それは、命を描く、という本来の田島さんの姿勢でもあるように思います。

   最後に、童心社HPにある田島さんへのインタビューを引用してお伝えします。

<戦争を起こさせないために>
 なぜ沖縄に通い続けているのかと聞かれたら、それは沖縄が好きだからです。 土地、風土、そこに住んでいる人たちの魅力ですね。 ただ、あまりにも本土の人たちが、沖縄のことを理解しようとしてくれない。 その腹立たしさが、これまでの仕事を後押ししてきたのだと思います。 歴史の問題、基地負担のこと、今まさに進んでいる辺野古の埋め立てや、高江のヘリパッドのこと・・・あまりにも本土の人たちは、知ろうとしないし、想像できていない。
 少しでも知ってもらえるように、絵本を描き続けてきました。 こんな恐ろしいことが、ほんの70数年前に起きていたのです。 そしてそれは珍しいことではなくて、今も世界のどこかで起きています。 僕らの周りでもう起きないということは、ありません。 戦争が起きないためにはどうすれば良いのか、どうしたら防ぐことができるのか。 実際に起きてしまったら、これほどに恐ろしいことはありません。 起こさせないために、努力せなあかんのです。 絵本を読んで、大人も子どもも一緒になって、考えてもらいたいです。(まとめ・編集部)

(赤鬼こと山ア祐美子)

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