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認定こども園 聖愛幼稚園

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赤鬼からの手紙(2021年8月号)



『焼けあとのちかい』

半藤一利 著
塚本やすし 著・絵

大月書店


   今年は特に暑いと、毎年のように感じる季節になりました。 猛暑日という言葉は、2007年4月1日から気象庁が使い始めたそうです。 同時に熱中症という言葉も生まれました。今年もすでに亡くなられている高齢者の方々がいます。 地球の気候変動は、私たちの身体に直接関わることも増えています。 そして、この大事な地球上に、未だに戦争が続いていることも事実です。 日本人にとって、戦争のことを改めて考えなければならないのがこの8月。 日本の行く末を思い続け、伝え続け、最後に子どもたちに託した一冊の絵本を届けます。

    いまから90年ほどまえ、わたくしは東京の下町に生まれ、15歳になるまで過ごしました。下町いうのは、いまの墨田区のあたりです。隅田川と荒川にはさまれた、屋根と屋根がぎゅうぎゅうにくっつきあいながら、ささえあっているかのような街並みがひろがっていました。わたくしは、学校からかえると、ただちにあそび場にいき、毎日日がくれるまで、友だちとあそびころげていました。中でも、メンコとベエゴマに夢中でした。
 それは忘れもしない小学5年生の12月のこと、ごぜん7時、ラジオから「臨時ニュースをもうしあげます、臨時ニュースをもうしあげます、」と興奮を必死におさえているかのようなアナウンサーの声がつづきました。「・・・本8日未明、・・・アメリカ、イギリス軍と戦闘状態にいれり・・・」<わが大日本帝国といえども、アメリカなんかと戦争して勝てるんだろうか…>わたくしは不安な気持ちで学校に行くと、先生たちは「正義ある日本が絶対に勝つのである」と勇ましく自信満々に話しました。ところが、家に帰ると、父が「バカな戦争なんかはじめやがって、いったいなにを考えてるんだ、この国は。おまえの人生も長いことなかったな…」といったのです。びっくりしました。
 戦争がはじまると、いろんなものがなくなっていきました。飼い犬や猫はどこかにつれていかれ、動物園のライオンやゾウ、クマやトラなどは殺されました。そして、いつのまにか町から若い男の人がいなくなり、笑顔や笑い声が消えていきました。戦争がはじまって2年、わたくしは中学1年生になっていましたが、上の学校に行けない友だちもたくさんいました。翌年の春、母と下の3人の兄弟は田舎の実家に疎開することになり、兄弟たちは「おにいちゃん、サヨウナラ〜」とまるで遊園地に行くかのように楽しそうに手を振りましたが、母だけはわたくしから目をはなそうとはしませんでした。この年の夏の終わりころから、防空壕が作られるようになり、中学2年生は学徒勤労動員で学校へは行かず兵器工場で手伝うようになりました。
 1944年11月1日東京の空にアメリカの爆撃機B29が初めて姿を現しました。それは、3月のひどく寒く、強い北風の吹く日のことでした。「坊ッ、起きろ、空襲警報だ」父の大声でとび起きました。外に出ると、南の方角が真っ赤に燃え上がっていました。ものすごい数の焼夷弾を落としいきます。防空壕から見上げるB29は巨大な怪物そのものでした。「坊、いいか、風上へにげろ、手ぶらでにげるんだぞ」グワーングワーン、北風がものすごいいきおいで吹き荒れ、火のかたまりがとんできて、渦巻きになってせまってきます。道路はもはや火とけむりの洪水のようでした。まっ赤な炎とどす黒い煙の中を逃げまどい、川に落ちて死にかけたりして…やっと助かったんだ…と思いながら、目の前のそんな地獄のような光景をわたくしは何の感情もなく船の上から眺めていました。やっと向かった家はあとかたもなく焼けていました。ふと、どこからか父があらわれ、「おう、生きていたのか」と、わたくしの顔をじっと見て、にこっと笑いました。
 いざ戦争になると、人間が人間でなくなります。戦争の本当のおそろしさとは、自分が人間でなくなっていることに気がつかなくなってしまうことです。あの時わたくしは、この世に「絶対」はない、ということを思い知らされました。しかし、あえて「絶対」という言葉でつたえたいたったひとつの思いがあります。
『戦争だけは、絶対に はじめてはいけない』

   昭和の生き証人であった、半藤一利さんが亡くなられたのは、今年の1月でした。文芸春秋社の編集者から、作家となり、多くの作品を残されました。特に昭和史、戦史研究に一生をささげた人でした。その言動も歯にもの着せぬ口ぶりで説得力のある語り口が印象的な人でした。その半藤さんが、ずっと語ることがこなかった自身の体験をもとに子どもたちに伝える決心をなさったわけを、あるインタビューでこんな風に語られています。

― 私が『文藝春秋』にいたときに、3ヶ月だけ女子大の非常勤講師として、教壇に立ったことがあったんです。今から30年くらい前ですか。今の若い世代の人がどんなことを考えていて、どんな知識を持っているのかを知りたくて、毎回授業のおしまい10分間のアンケートに協力してもらったんです。そこで「太平洋戦争に関する10の質問」というのをやって、第一問目に「日本と戦争しなかった国はどこでしょう」という問題を出したんです。答えは4択で、「アメリカ、ドイツ、旧ソ連、オーストラリア」としましたが、50人中13人が「アメリカ」に丸をつけたんです。授業で私の話を聞いていたにもかかわらず…。びっくりしました。 でも、別のアンケートで、「ナチスドイツのヒトラーについて、知っていることを書いてください」と出したときには、50人中48人が正しい答えを書いていたんです。アメリカと日本が戦争したことを知らない人が13人いたのに、どうしてヒトラーのことはほとんどの人が知っているのかと理由を尋ねたら、「映画の『シンドラーのリスト』を観たり、『アンネの日記』を読んだり、手塚治虫さんの『アドルフに告ぐ』という漫画で知った」というんです。 私は活字信奉で、映像や漫画を侮っていたんですが、若い世代はそういうところから知識を得るんだとよくわかって。 だから、「絵本にしたい」と話が来たときに、渡りに舟だと思ったんです。―

   ここでは、ほんのわずかな抜粋のような形での紹介にすぎませんが、15歳の半藤さんの経験はすさまじく、塚本やすしさんの絵がその思いをしっかりと受け止めて描かれています。この夏、ぜひ手に取って、皆さんで半藤さんの思いを繋いで頂けたらと思います。

(赤鬼こと山ア祐美子)

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