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認定こども園 聖愛幼稚園

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赤鬼からの手紙(2021年7月号)



『だいじょうぶだよ、ゾウさん』

ローレンス・ブルギニョン 作
ヴァレリー・ダール 絵
柳田 邦男 訳

文 溪 堂

   雨模様の梅雨が明けると、太陽を抱えた空は一気に鮮やかな色になってきます。 今年も夏が巡ってきます。 入道雲がもくもくと立ちのぼるのを見ていると、気持ちもぐんぐん上がってくるような気がしますね。 生き物たちが生き生きとしてくるこの時期に、人たちの営みの中には、亡くなった方への思いを表すお盆と呼ばれる行事があります。 仏教儀式の一つですが、古来から宗教に関係なく生活の一部となっています。 7月が通例ですが、農繁期と重なる地域は8月に祀ると言われてきました。 今は農繁期に限らずこの旧盆としての時期を選ぶ方が多くなっているようです。 年に一度、身内や近くで亡くなった方の魂を迎え、共に過ごすことで今ある命への感謝につながる大切なひと時です。 そんな今月は、命がなくなることとは、どういうことかを考えてみましょう。

おさないネズミと年老いたゾウがなかよくくらしていました。ネズミはいろいろできる子で、ゾウがメガネをなくさないように、ひもをつけて首にかけられるようにしてあげました。ゾウは、おさないネズミをまもってあげました。ネズミの足ではいかれないところにもつれて行ってあげました。ゾウはネズミといっしょだとこころがはずむのです。
ある日の夕方、ゾウはいつもとちがう道にはいりました。
「ゾウさん、どこへいくの?」ネズミがききました。
「まえに話してあげたゾウの国のことをおぼえてるかい?ゾウはみんな、年をとったり、病気がおもくなったりすると、その国にいかなければならないんだ。ほら、あそこだ」ゾウはいいました。
すぐ目のまえは、ふかい谷、その谷のむこうには、みわたすかぎり森がひろがっていました。
「あの森が、なくなったぼくのおかあさんとおとうさんがいるところなんだ。にいさんやねえさんたちや友だちもね。もうすぐぼくもいくんだよ。そんなかなしそうな顔しないで。むこうでは、みんなしあわせなんだから。」
そのとき、ゾウはおどろきの声をあげました。森をわたるためのつりばしがこわれていたのです。ネズミはどうすればなおせるか、頭をはたらかせました。
「ぼくが、なおすよ。でも、つりばしをわたっても、もどってくるってやくそくしてね。」
ゾウは、首をよこにふりました。
「それなら、いっちゃいやだ」ネズミはいいました。
それから、ふたりはなにもなかったようにすごしました。でも、ネズミはまいにち、あのつりばしのことをおもってはふるえるのでした。

ゾウは、もうメガネをかけてもほとんどみえなくなっていました。耳もとおくなり、おおわらいしてもせきこんだり、わらいもしないのにせきがではじめてきました。大好きなバナナさえも食べようとしなくなりました。ネズミとくらすのが、もうむりになったのです。
ゾウは、あの山のなかの森へいかなければなりません。
ネズミは、いまやこころも成長し、まえのようにこわがらなくなりました。ゾウがむこうの国にいけばしあわせになるのだと、おもえるようになり、つりばしをなおしはじめました。
「きみが きっとてだすけをしてくれるとおもってたよ」
ゾウは、こころをきめると、つりばしをわたりはじめました。
「こわくなんかないよ。だいじょうぶ、安心してわたれるさ」ゾウはこたえました。
「そう、きっとすべてうまくいくよ・・・」ネズミはやさしいえみをうかべました。

   柳田邦男さんが訳された絵本です。 ノンフィクション作家の柳田さんは、翻訳のみならず、多くの絵本との関わりの場を設け、意欲的に絵本による子供の育ちから、大人の育ちに至るまで様々なアプローチで伝えています。 特に命の問題は、今までの作家としての視点も含めながら深い洞察で絵本と向き合っておられます。 「だいじょうぶだよ、ゾウさん」もその1冊です。絵本による死との向き合い方とはどんなものなのでしょうか。 この作品への思いを、柳田さんはこんな風に語られています。

―  この作品で大事なのは「心の成熟や成長とかっていうものは時間経過の中で生まれてくる」、そこが描かれているということ。そうすると、心の成長という問題が別れの場面でとても大事になる。それをどういうふうに表現したらいいか。どの瞬間に言ったらいいかっていうのを考えて、翻訳したんです  ―

   柳田さんは、時間経過の中で生まれてくる心の成長、成熟が死と向き合う場面でも大事なことだと表現されています。

   昨年からウイルス感染による死者が世界中で増え続け、日本でも多くの方が亡くなっています。突然のように家族を奪われ、感染予防対策から故人を見送ることもできないというニュースが毎日のように流れています。命がなくなるだけでなく看取りも出来ないことは、残されたものにとってどれだけの悲しみだろうかと思えてなりません。でも、その家族の思いを抱えつつ、医療従事者の方が真摯に対応する姿も伝えられ、頭が下がる思いがします。

   こんな場面に遭遇すると、時間の経過もなく、何の準備もなく、心の成長や成熟を待つ間もなく、向かわなければならない死との向き合い方はどうなのだろう、と度々考えさせられます。でも、柳田さんの語った、時間の経過の「時間」とは、私たちの暮らす日常生活の時間経過とは別のような気がします。24時間という一日ではない一日があるのかもしれません。こういう絵本に出会う瞬間でも心の成長や成熟は得られるのではないでしょうか。

   原文では「fine」という言葉を使っている、それを柳田さんは悩みに悩んで「だいじょうぶ」という言葉で訳されました。「だいじょうぶ」って、なんて素敵な言葉でしょう! 旅立つゾウも、見送るネズミもこの「だいじょうぶ」に支えらえています。 命に向きあう絵本はまだまだ沢山あります。この夏、あなたの1冊を見つけてください。

(赤鬼こと山ア祐美子)

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