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認定こども園 聖愛幼稚園

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赤鬼からの手紙(2019年11月号)



『わたしの足は車いす』

フランツ=ヨーゼフ・ファイニク 作
フェレーナ・バルハウス 絵
ささき たづ子 訳

あかね書房 刊


   山々の模様替えに目を奪われていると、あたりの空気がぐっと冷え込んできていることに気づかされます。温暖化と言われながらも寒さは確実にやって来ますね。北の方では、ストーブも欠かせなくなってくるかもしれません。そんな冬支度の前に、たくさん散歩しておくのもいいです、季節の移り変わりを肌で感じることが出来ます。今すぐにでも、一人で外に出掛けられる私たちですが、外に出る準備に少し時間のかかる女の子がいます。車いすの女の子のお話を聞いてください。

   アンナの足は両方とも動きません。なにをするにも、時間がかかるのです。 自分の足なのに思うようにならないので、足がうんと遠くにあるような気がします。 でも、朝のしたくも、たいへんだけど、おかあさんにてつだってもらわなくてもちゃんとやれるのです。
「ねえ、アンナ。あとで、ひとりで、おつかいにいってくれるかしら?スーパーで、リンゴとミルクを買ってきてもらいたいのよ。」
おかあさんがいいました。
「じゃあ、あとで、いってみる。だいじょうぶ。やってみるわ。」
アンナははりきって、いいました。
   アンナは車いすで、町に出ました。ひとりでおつかいにいくのは、はじめてなので、ちょっとどきどきします。小さい女の子がアンナと話したそうに立ち止まりました、でもおかあさんがてをひっぱってどんどんあるいていってしまいました。アンナもお話ししたかったのに。
「やーい、でぶっちょ。おまえはには、こんなこと、できないだろ。」
広場で男の子たちが、ふとった男の子をからかっていました。 それを聞いてアンナは、ほかの人たちとちがっているからって、ばかにするのはよくないわ、と腹がたちました。
   車いすのアンナを見てにっこりうなずいてくれる人もいましたが、だまってじろじろ見る人のほうがもっとたくさんいたのです。 どうしてそんなにわたしを見るの、とアンナは気になりました。 さっきの女の子が車いすを指さして聞きました。
「それ、なあに?」「車いすっていうのよ。」
とアンナは教えてあげましたが、女の子のおかあさんは
「そんなこときくもんじゃありません、だまってなさい。」
としかるようにいいました。アンナは悲しくなりました。車いすについてお話するのが、どうしていけないのかしら。
   横断歩道で信号が変わったので、車いすですすみましたが、歩道の前のふちが高くてあがることができません。 アンナに気をつけてくれる人はだれもいません。 すると、さっきのふとった男の子が
「車いすを、おしてあげようか。」
といって、車いすをおしてくれました。 アンナはやっと歩道にのぼることができました。 スーパーで、リンゴとミルクを買おうとしたら、アンナを見るなり店員が急いで、持ってきてくれました。
「わたしだって、じぶんでとれるわ。ほかのひととおなじように。」
とおこっていうと、店員はめをまるくしました。 アンナは涙が出てきました。
「なかないで。ぼくだよ。ジギーっていうんだ。ぼくも、ちょっとふとってるから、ふつうとはちがっているんだ。ぼくたち、ちょっとだけふつうとはちがうんだよ。だけど、ちがってもいいのさ。ちがってるのって、ほんとうは、とくべつなことなんだから。」
   こうして、アンナとジギーはともだちになりました。
「ともだちが、できたの!」
アンナは、うれしそうにいいました。
「ぼくたち、とくべつなともだちなんだよ!」
ジギーがいいました。 もう町の人にいくら見られても、アンナは気になりません。 おつかいもちゃんとできたし・・・ほかにもいろんなことができました。 はやく帰っておかあさんにきょうのことをお話しようと思いました。

   街の中で、車いすの人を見かけたことはありますか? 来年のパラリンピックに向けて、メディア等ではたくさんの障碍を持つアスリートの話題が日々伝えられています。こんな風に伝えれられても、身近な問題として受け止めるにはまだまだ困難なこともあるようです。

   私が小学生の時、同級生にポリオ(小児まひ)のために、下肢に障碍を持つ友人がいました。 彼はお父さんのオートバイの横に併設されたサイドカーに乗って無遅刻無欠席で登校していました。 何だかその姿は子供心にかっこいいとさえ思ったくらいです。 体育の授業では、真っ先に白い体操服に着かえ、ドッジボールやその他の授業でも同じグランドに立ち続け、転がってきたボールを杖で押し返すようなこともしていました。 ある時、その彼が階段で転んでしまったことがありました。 手を貸そうとすると、彼は「大丈夫、自分で起きる」とはっきりと言ったのを今でも覚えています。 負けず嫌いで努力家の彼は、素敵なバイオリンを奏でる傍ら、勉学にもとても優れていました。 東京大学に進み、工学研究をする人になりました。 その後大学で教鞭をとりつつ、バリアフリーライフ研究所の立ち上げ等、様々な研究を重ねながら、実践に繋いでいます。 私は彼から学ぶことがたくさんありました。

   ”わたしの足は車いす”と自分で言うことが出来るアンナに育つためには、ご両親のアンナへの深い理解と自立への強い思いを感じます。 ジギーはアンナから多くのことを学びますが、同時にアンナもたくさんの気づきをします。 共に生きていくには、まず互いの違いを理解し合い、感じ合うことが大切です。 それには、時間や空間を共にしないとわからないことがたくさんあります。 離断されたままでは、違いを知ることさえ奪われてしまいます。 小学生時代を鹿児島で過ごしたわが子たちは、障碍を持つ子どもたちとの統合教育を実施していた学校現場で育ちました。 このことは、のちの子どもたちにとっての多くを学ぶ機会になったと本人たちは語っています。

   今、世界は分断の流れに移行していくような気がしてなりません。 未来を創っていく若者たちに負の遺産を残したくはないと切実に感じます。 ほんの少しの勇気と声をあげることで、世界中の人々がつながる世界を望むことは必ずできると信じています。

(赤鬼こと山ア祐美子)

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