わたしは、新聞記者です。新聞記者は、驚きや発見を「伝える」仕事です。
国内外の色々な場所に出向き、苦しむ人や悲しんでいる人、何かに挑戦しようとしている人、さまざまな人の考えを聞きます。
それを記事にし、多くの人に届けます。
もちろん、人に会うだけでなく、昔あったことを調べたり、確かめたりすることもあります。
70年以上前、日本は世界の国々と戦争をしました。
2014年のある日、アメリカとの戦争のことを調べているグループから「ある旗の持ち主をさがしてくれませんか」と連絡がありました。
その旗は、日章旗とよばれる旗でした。たくさんの人がよせ書きをして、戦地に旅立つ軍人さんが持っていくお守りのようなものでした。
アメリカでみつかったその日章旗には、「一郎君へ」と書いてあります。
わたしは、取材を続けながら、旗の持ち主「一郎くん」を探し始めました。
探すための手掛かりは、名前をよせ書きした人です。
よせ書きした人の名字は、静岡県に多く見られるものでした。
まずは図書館で昔の電話帳を探しました。
そして、来る日も来る日も、よせ書きの名前にゆかりのある人を一人ひとり尋ねていきました。
そんな中、「おぼえています。ぼくが生涯でただ一回、よせ書きした日章旗ですから」と話す山口浩一さん(83歳)という人にたどりつきました。
・・・中田一郎・・・ようやく「一郎くん」の名字を突き止めることが出来ました。
山口さんは一郎くんのことを語り始めました。
「お父さんと同じ郵便局員で働く、優しくて、あこがれのお兄ちゃん」だったと・・・。
出征の日の一郎くんは、ばんざいをしようとする見送りの人に「ばんざいはいりません」と止め、とまどう人々を背に帽子を左右に振って、笑顔でお別れをしたそうです。
一郎くんは戦争で亡くなり、帰ってこなかったのです。
山口さんの情報から、一郎くんと関わりのある人たちが次々に見つかりました。
近所に住んでいたという女性(84歳)も一郎くんのことを忘れてはいませんでした。
小学校6年生だったその女性も「戦地で弾に当たりませんように」と願いを込めて千人針をしたそうです。
日章旗は、家族が送ったものでした。お姉さんのちゑさんが弟のためによせ書きを懸命に集めたのでしょう。
新聞は、文字だけでなく写真も掲載されます。一郎君の写真を掲載したいと思いました。
静岡市は大きな空襲を受け、ほとんどの家が焼けてしまいました。
写真もやけてしまったかもしれません、
どうしたらいいだろう。一郎くんのいとこにあたる杉山幸弘さん(67歳)をたずねました。
「中田一郎の写真ですか?ありません」それでも探すうちに仏壇の引き出しから、こぼれおちたものはふるぼけた写真でした。
「中田一郎、たいせつ」とありました。確かに一郎くんのお母さんが書いた文字でした。
一郎くんが亡くなって76年、お母さんが亡くなって45年がたちました。一郎くんとお母さんにとっての戦争がやっと終わったのだと、わたしにはそう思えるのです。
8月の紹介では、戦争や災害ということではなく、いのちそのものを考える絵本を紹介しました。
いつも近くにいた存在が亡くなってしまったとき、私たちはどう受け止めたらいいかを、動物たちのやり取りの中で学びました。
今回は戦争を通した絵本です。福音館書店「たくさんのふしぎ」シリーズで戦争のことを扱うのは珍しいかもしれません。
このシリーズは、小学3、4年生向けとのことなので、幼稚園で紹介するのは難しいとは思いますが、友人に贈られた最新号の9月号の絵本をみて、ぜひご紹介したいと思いました。
文章を手掛けたのは新聞記者の木原育子さんです。
絵本紹介の冒頭で、彼女の言葉をそのままを引用しましたが、新聞記者として誇りをもって子どもたちに向き合い、わかりやすい言葉を選んだことがよく伝わります。
そして「一郎くん」の写真にたどり着くまでの日々が、どんなに困難な作業であり、地道な努力の結果なのかということもよくわかります。
絵を描いた沢野ひとしさんは、”しろくまちゃんのほっとけーき”のこぐま社勤務を経て、フリーになりました。
こぐま社時代、沢野さんは私の店「赤鬼」に営業で来店されたことがありました。
残念なことに、たまたま私は不在していてお会いできないまま、沢野さんは名刺のみを店に置かれていきました。
その日からの数十年後、偶然出会うことが出来たのは、奇跡の様です。
戦争という厳しい状況下の内容ですが、沢野さんの柔らかい線運びや色遣いは温かくほっこりした気持ちにさせてくれました。
文章の中にある細かなエピソードも沢野さんなりの的確なイメージであらわされています。
戦争を描く絵本でこんなにも優しい表現を可能にしたのも、自然界のあらゆるものに対する敬意を持つ沢野さんの筆ならではでしょう。
裏表紙の茶葉を集める虫たちは沢野さんらしい優しさとユーモアに溢れています。
ページ最後のひまわり畑と富士山は、静岡県に違いないはずなのですが、私にとっては、見覚えのある故郷の景色に思えてなりません。
年降るごとに戦争を知らない世代になっていく中で、今後も様々な試みがなされていくことでしょう。
この一冊も命を考える大事な絵本になっていくことと思います。
(赤鬼こと山ア祐美子)
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