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認定こども園 聖愛幼稚園

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赤鬼からの手紙(2019年6月号)



『すみれ島』

今西祐行 文
松永禎郎 絵         

偕成社


   初夏のような気候になってきました。梅雨の訪れが聞こえてくるまでは、春を呼んできた花々たちも、頑張って咲いてくれるかもしれませんね。 花屋の店先ではあまり見かけないけれど、道端で小さな紫色を見つけたことはありませんか? 3月から5月ころに咲き誇る、愛らしいすみれの花です。 都会でも、コンクリートの隙間やブロック塀の間から顔を出す姿を見たことがあります。 鼻先を寄せると、ほんのり甘い香りがしてきます。 このすみれにまつわる、悲しいけれど忘れてはならないお話です。 紫の紫陽花にバトンタッチするまで、もしも見かけたら、このお話を思い出してください。

 九州の南のはしに近い海辺に、小さな小学校があった。
昭和二十年、春、毎日のように学校の真上を、日の丸をつけた飛行機が飛ぶようになった。生徒たちがバンザイと、手をふると、飛行機は声が聞こえたかのように、つばさをふって海のむこうに飛んでいった。 先生たちは、それが最期のサヨナラであることを知っていた。
何も知らない子どもたちはなんども学校に飛行機が飛んでくるのを喜んで、手紙や絵を描いて、航空隊におくってもらった。
「飛行機からぼくたちがみえますか?こんどは、もっと大きくつばさをふってください。」
手紙をだしてから、飛行機はほんとうにつばさを大きくふってくれたようにみえた。そんなある日、ひとりの女の子がいいだして、すみれの花束をおくることにした。みんなでつんで、いくつもの花束にして、先生といっしょに航空隊に届けた。すると、いく日かして学校に手紙が来た。

―――――――――――――――――――――
すみれの花を たくさんありがとう。ゆうべは、とてもたのしい夜でした。
ぼくは小さいとき、よく すみれの花で、すもうをしました。
みなさんは知っていますか。
すみれのことを、ぼくたちは〈すもうとり草〉とよんでいました。
すみれの花をからませて、引っぱりっこすると、どちらかの花がちぎれます。
ちぎれたほうが、まけです。
きのう、たくさんすみれをいただいたので、みんなで、それをやりました。
せっかくもらった花を、ちぎってしまって、わるいなと思いながら、
花がなくなるまでやりました。毛布の中を花だらけにしたまま、ねてしまいました。
かすかに、いいにおいがしました。
いま、出撃の号令がかかりました。みなさん、ありがとう。
ゆうべはほんとうにたのしい夜でした。いつまでもお元気で。サヨーナラ。
―――――――――――――――――――――
「このお手紙をくれたかたは、もう、南の海で、戦死しているのよ。
もう、いらっしゃらないのよ・・・」
先生は涙ながらにそう言って、子どもたちにはじめて特攻機のことをくわしく話した。
その日から、子どもたちは、野原のすみれの花がなくなるまで、花束を作って送り続けたのであった。
戦争が終わっていく年かがすぎた。南の島の小さな無人島の一つに、いつからか、いちめんにすみれの花が咲くようになった。いまでも、海辺の人たちは、名前のなかったその島のことを、〈すみれ島〉とよんでいる。

   6月23日を知っていますか? 「沖縄慰霊の日」です。1945年4月1日に米軍が沖縄に上陸して、日本における唯一の本土決戦になりました。沖縄は多くの生命、財産、文化が奪われました。 〜1974年に制定された「沖縄県慰霊の日を定める条例」により、「我が県が、第二次世界大戦において多くの尊い生命、財産及び文化的遺産を失った冷厳な歴史的事実にかんがみ、これを厳粛に受けとめ、戦争による惨禍が再び起こることのないよう、人類普遍の願いである恒久の平和を希求するとともに戦没者の霊を慰めるため(条例第1条)」、6月23日を「慰霊の日」と定めている。〜

   退位された平成天皇は、ヒロシマ、ナガサキの原爆投下の日と共に、忘れてはならない日としてご自分に刻まれ、何度も沖縄への慰霊の旅を続けられました。 6月になると、この日を思います。そして、すみれの花が咲きはじめると、「すみれ島」の絵本を思い出します。 ”特攻花”と呼ばれる花には、すみれの他にも、いろんなものがあります。 タンポポ、サクラソウ、テンニンギクなど、どれもこれも、それぞれの愛らしさで、隊員たちを送り出したのでしょう。 この絵本にある南の海は、沖縄方面でもあります。すみれ島は本当にあるかどうかわかりません。 でも、特攻に消えた隊員の手に握られたすみれの花束から種が根付き、一面にすみれ色に染まった島があるように思えてなりません。

   沖縄は今も、戦争の傷跡に引きずられながらも、人々の暮らしを平和に、穏やかに、そして豊かにするようにと努力されています。 沖縄は今や一大リゾート地でもあり、移住される方も多くなってきました。 それだけに、沖縄の持つ歴史の痛みに皆で心を寄せながら、平和の大切さを伝えていかれればと思います。

(赤鬼こと山ア祐美子)


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