だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。
富んでいること、豊かであることこそ幸せだと私たちは思っています。
豊かな暮らしができることこそ幸せだと思い込んでいるのです。
そしていい暮らしにあこがれ、そのために様々な努力もします。
生活水準を気にしたり、損得でものごとを考える癖もあります。
すべてを経済価値に置き換えて見てしまうのです。
いつの間にかお金に縛られて生きているので、どんなこともお金に換算して考えるようになってしまっているのです。
ちょっと得したら、そこに喜びはあるかもしれませんが、しかし、それは幸せとは違うものだということを心のどこかで私たちは知っているのです。
子どもが小さな紙切れに書いてくれた手紙は、高価なものではありませんが、とてもうれしい大切なものです。
子どもと手を繋いで風に吹かれて散歩しても、一銭にもなりませんが、大切な何かを感じ取れる時間です。
「富」とは無縁の、むしろ対極にあるようなところに、幸せが用意されていることを本当は私たちはちゃんと知っているのです。
でも、豊かな生活の先に幸せがあると思わされているので、お金に換算できないようなものには心が動かなくなってしまうのです。
この世の金銭的な富に換算できない、むしろ場合によっては損でしかないようなところにこそ本当の幸せは潜んでいるのだとイエスさまはおっしゃるのです。
「神」とは、私たちが損得勘定抜きであたりを見回したとき見えて来るものです。
子どもの寝顔や、四季の移ろいや、昇る朝日や、夜空に浮かぶ月。
ちょっとだけ「富」から離れて、「神」を味わってみましょう。
「富」に心を奪われて、本当の幸せ見失ってしまわないように。
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