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認定こども園 聖愛幼稚園

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書き下ろし連載206
愛が芽生えるとき
マタイ福音書6章2〜4節

細井保路

   あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきりあなたがたに言っておく。彼らは既に報いを受けている。施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。

   そもそも善意で行うことに報いを求めたら、それは偽善です。 しかしイエスさまは、人に褒められようとしてするのは偽善だが、神さまからの報いは大いに期待すべきだと言われるのです。 神さまがくださる報いとは、高い評価とか、ご褒美とかではなく、他者を生かすことができた喜びや、人の幸せに立ち会える喜びのことです。 私たちは、利己心が優先している限り、自分の中に相手を生かし、幸せにする力があることを忘れてしまいます。

   その利己心から解放されるコツは、「右の手のすることを左の手に知らせない」ことです。 わが子のために思わず手を差し伸べるときに、「今、右手を差し出している」とは誰も意識しません。 つまり、善意に満ちている時、私たちは、自分がどう見えているかなど気にしないのです。 自分を意識することをスッと忘れた瞬間、私たちは人に寄り添っている喜びの中にいるのです。

   子どもに向かって、こうしなさい、ああしなさい、こうでなければダメです、言うことをききなさい、という指示を出し続けるなら、子どもはいつも自分の立ち位置を意識しなければならなくなり、しかもそれが、親の気持ちにそぐわないものだと思い知らされ、人に寄り添っている喜びを味わうことができない状態に陥ります。 ただ子どもの気持ちに寄り添ってあげることが時々必要です。 それこそが、子どもの心に人を愛する喜びが芽生える第一歩なのです。


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