殺人事件や、紛争による殺戮のニュースなどを聞くと、暗い気持ちになります。
でもどこか他人事のように感じます。いやむしろ、他人事であってほしいと願います。
イエスさまは、人のいのちを奪うことの根っこは、人を見下すことにあるのだと言われるのです。
「人を殺すなんてとんでもない」と思っていても、心の中で誰かを見下しているなら、あなたは、殺人者を裁く資格はない、ということになります。
そして不思議なことを言われるのです。
「神に祈るときに、誰かに反感を持たれていたら、まず和解しろ」と。
とてもできそうにない話です。煩わしい相手は無視するので精一杯です。
嫌な人のことは相手にしないというのが、心の健康を保つためにも必要に思えます。
しかし、そうやって割り切っているつもりが、いつの間にか、その嫌な相手を軽蔑し、見下していることになりがちです。
相手の存在を大切にする気持ちを手放してしまったら、それは自分自身の心を傷つけることにもなるのです。
さらにイエスさまは、「『姦淫するな』と命じられているが、みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのだ」と畳みかけます。
これも、相手の存在を、尊厳を大切にしているかという問いかけです。
お互いに、相手の存在を高め合うという姿勢を忘れないようにしましょう。
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