わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。
廃止するためではなく、完成するためである。はっきり言っておく。
すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。
だからこれらの最も小さな掟を一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、天の国で最も小さい者と呼ばれる。
しかし、そうするように教える者は、天の国で大いなる者と呼ばれる。
イエスさまを取り巻くイスラエル民族の文化は、聖書を神さまからのメッセージとして重んじていました。
そして、そこに書かれている掟を守ることが大事だとされてきました。
でも、聖書の初めに書かれている大切なメッセージは読み落とされていました。
皆さんもご存じの、天地創造の話です。天地創造の話の要点は、すべては神のいのちのうちにあるということと、それゆえ、この世界のものすべては本来、神の望みにかなった「よいもの」であるということです。
そのメッセージに気づけば、私たちは、特定の者だけが救われるとか、祈るために作法を守らなければいけないとか、条件に合わないものは排除されたり差別されたりするという狭い考え方から解放されるはずなのです。
宗教の本来の目的は、否定されたり排除されたりするものが無くなることであるはずなのに、現実はそれとは程遠い状態です。
神さまが造られた世界を自分たちの勝手な取り決めで選別してしまうのです。
大きな神さまのいのちを切り刻んでしまっているのです。
イエスさまは、私たちの心の狭さを打ち破ろうとされました。
伝統や習慣を重んじていた人たちには、伝統の破壊者にしか見えませんでした。
それに対して、イエスさまは、「聖書の言葉は一文字たりとも軽んじてはいけない。
そうしないと、一番大事なものが見えなくなる」と訴えたのです。
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