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書き下ろし連載201
願い続ける幸せ
マタイ福音書5章3〜10節

細井保路

   心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は、幸いである。その人たちは慰められる。
柔和な人々は、幸いである。その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人々は、幸いである。その人たちは満たされる。
憐れみ深い人々は、幸いである。その人たちは憐れみを受ける。
心の清い人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。
義のために迫害される人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである。

   普通の日本語の表現では、「心が貧しい人」とは、度量が狭く、相手の幸せを考えられないような人のことを指します。 だから、この聖書の言葉は誤解されやすいのですが、自分の人生は自分で勝ち得たものではなくて、神さまから与えられ、また、他の人たちに支えられているのだと謙虚に認める人のことを指しているのです。 ですから、別の訳語を当てたほうがいいのでしょうが、直訳すると、「霊において貧しい人」となり、やはり分かりにくいので、この表現に落ち着いているようなのです。

   本当に幸せな人は、神さまからいただいている恵みで満たされていると感じている人なのです。 しかし、それで自己満足に陥るのではなく、現実の世界はまだ十分に神さまがくださるものを受け止めていないのだから、そのために生じる苦しみや悲しみからこの世界が救われるようにという願いを持ち続けることが大切なのです。 本当の幸せは自分の満足で完結するのではなく、人の幸せを願い続ける役割が自分にあると知ることによって得られるのです。

   「貧しさ」という言葉は「願い続ける」ということを意味しているのです。 八つの言葉で、願い続けることの大切さを伝えているのです。 「柔和な人は・・・地を受け継ぐ」というのは、幸せを願うならば、「やさしさ」を親から子へ伝え続けなさいと言っていることになります。


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