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認定こども園 聖愛幼稚園

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書き下ろし連載199
人のおかげで今がある
マタイ福音書4章1〜4

細井保路

   イエスは、40日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。 すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。 「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」イエスはお答えになった。 「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」

   救いとは、どんな罪もゆるされるということだとイエスさまは言われました。言いかえれば、どんな人も神さまの前では完全ではありえず、ゆるされなければならない存在だということです。それを認めることが、神さまを信じ受け入れることなのです。神さまが私たちをゆるしてくださっていることを受け入れることなのです。そのことのしるしとして、イエスさまの死があり、そのことの保証として復活というゴールが示されたのです。

   イエスさまは、別の表現でもこのことを語られます。マルコ福音書の3章にこんな言葉があります。「人の子らが犯す罪やどんな冒涜(ぼうとく)の言葉も、すべて赦される。しかし、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」

   聖霊とは、私たちの内で自由に働かれる神さまのことです。私たちが不安や恐れから解放されるためには、怒りや後悔から解放されるためには、神さまのゆるしを信じ受け入れることが必要なのです。しかし私たちは、自分のことはゆるしてもらいたいけれど、人のことはなかなかゆるせないばかりか、平気で責めたり裁いたり憎んだりするのです。それは「神の赦し」を受け入れていないことにほかなりません。だからイエスさまは弟子たちに、「約束された、高い所からの力に覆われる」のを待つようにと言われたのです。聖霊に満たされること、神のゆるしを確かに受けいれることが何よりも大切だという意味です。


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