命じられたことを果たしたからといって、主人はしもべに感謝するだろうか。あなたがたも同じことだ。自分に命じられたことをみな果たしたら、「わたしどもは取るに足りないしもべです。しなければならないことをしただけです」と言いなさい。
わたしたちはちょっとよいことをすると気分がいいものです。人のために働いて、感謝されたりすると、「ああ、やってよかった」と思います。相手のことを思いやれる自分は、それができない人より少しはましな人間だと思ってしまいます。しかし、いつしかそれは、自分は立派な人間で、人から評価されて当然だといううぬぼれに変わっていきます。
反対に、いやな思いをさせられたり、人を傷つけてしまったりする自分に気づいて、自分でもいやになり、さらに、褒められている人たちに反感を持ったりする人もいます。どちらの人も、自分の心の中に与えられている本来のやさしさを見失っていると言えます。
人のために働けるのは、自分が特別なよい心を持っているからではなくて、神さまが一人ひとりに与えてくださっているやさしさが開花しているだけなのです。また、うまく人とかかわれず、恨んだりしてしまう人は、神さまが与えてくださっている根源的なやさしさをうまく見つけ出せずにいるのです。
イエスさまは、「互いに愛し合いなさい」というのが唯一の掟だと言われました。その言葉と冒頭の聖書の言葉を重ねて考えるならば、私たちが「しなければならないこと」は「互いに愛し合うこと」に尽きるのです。そしてそれは、努力を要することでも、深い理解が必要なことでもなく、私たち一人ひとりの心に刻印されていることなのです。愛の源である神さまからいのちをいただいている私たちは、その神の愛から派生するやさしさをちゃんと持っているのだということを自覚しましょう。
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