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認定こども園 聖愛幼稚園

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書き下ろし連載178
思いやりを忘れるな
ルカ福音書16章31

細井保路

   もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう。

   当時の人たちの死後のイメージは、正しい人は、天国でイスラエル民族の祖であるアブラハムと共に天の宴席に着き、神に背いた者は陰府(よみ)の国で炎にさいなまれるというものだったようです。 イエスさまは、そのイメージをそのまま使って話をなさいました。 それは、死後のことを話すためではなく、私たちが、悪いことは何もしていないとうそぶいてはならないということを教えるためでした。

   たとえ話には、何の悪意もないけれども、人への愛も思いやりもない人が登場します。 その人は、死んだら天国に迎え入れられると思っていたのですが、なんと陰府に落とされてしまいます。 そうなって初めて何が大切かを思い知らされたその人は、天上のアブラハムに向かって、まだこの世に生きている身内に、思いやりを忘れるなと伝えてくださいと願います。 そして、「もし、死んだ者の中から誰かが私の兄弟たちのところに行ってやれば、彼らも悔い改めるでしょう。」と訴えます。 それに対するアブラハムの答えが、冒頭の聖書の言葉です。

   「モーセと預言者」というのは、聖書のことを指します。 イエスさまの時代にはまだ新約聖書は書かれていませんから、今でいう旧約聖書を指していることになります。 それは、イスラエル民族の聖典です。 つまり、ちゃんと聖書を読み理解しているなら、思いやりがどれほど大事か気がつくはずだと言っているのです。 そして、聖書からそれを読み取れていない人は、つまり、思いやりのない人は、どんなに説得しても気づかないだろうと言うのです。 人の痛みを無視して、自分だけ幸せになろうとする傾向は、誰の心の内にも潜んでいます。 私たちも時々、思いやりを忘れていないか問い直すようにしましょう。


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