小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい。そこは、盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるからだ。
この言葉の前に、イエスさまは、必要なものがちゃんと確保できるかどうかで思い悩むなと語られます。神さまはわたしたちに何が必要なのかご存知なのだから、必要は必ず満たされるというのです。そして、「ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらの(必要なもの)は加えて与えられる。」と言われました。
わたしたちは、必要を追い求めます。安心を追い求めます。明日にもそれが無くなるかも知れないと思うと心配になってきます。そして、自分が損をしないように、様々なことで思い悩んで暮らしています。悩みは尽きることがありません。
「神の国を求めよ」というのは、「神さまがすべてをはからってくださると信じて祈りなさい」ということです。そうすれば、神さまは「神の国をくださる」というのです。お任せすればお任せするほど、神さまのはからいを感じることができるというわけです。でもそれは、無責任な丸投げとはちがいます。お任せした上でちゃっかり自分だけは得をするというのではなく、「施すこと」つまり、他者の幸せまで願いながら、神さまにお任せすることが大事なのです。
神さまは必要を満たしてくださいます。でも現実は様々な不公平や心配事で満ちています。それは、他者の幸せを無視して、自分だけが幸せになろうとするわたしたちが生み出している不幸なのです。
みんなの幸せこそが本当の「富」だと気づいた人が一人でもいれば、そこから「神の国」が始まると言ってもいいのだと思います。そしてその思いが広がっていくとき、本当に必要は満たされることを実感できるようになるのです。
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