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認定こども園 聖愛幼稚園

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書き下ろし連載163
生き生きとした心
ルカ福音書11章39−41節

細井保路

   あなたたちファリサイ派の人々は、杯や皿の外側はきれいにするが、自分の内側は強欲と悪意に満ちている。 愚かな者たち、外側を造られた神は、内側もお造りになったではないか。 ただ、器の中にある物を人に施せ。 そうすれば、あなたたちにはすべてのものが清くなる。

   「器の外側を清めるのではなくて、器の中にあるものを人に施せ」とイエスさまはおっしゃいます。心の中に沈殿している強欲や悪意を断ち切るには、施すことしかないのだというのです。自分を守ろうとするなら自分の内に悪いものをため込むことになるけれど、自分を与えようとするなら、自分の内からでてくるものはすべて清いものに変わるということです。自分のために何かをため込むことで悪の連鎖が始まり、他者のために何かを与えることで悪の連鎖は断ち切ることが可能になるのです。自分の力や時間を人に与えることは、辛い自己犠牲ととらえることもできますが、すがすがしい喜びとして感じ取ることも可能なのです。「いのち」という頂き物は、あふれ出てこそのいのちだということです。

   子育てで思い悩むとき、家事に時間を奪われてしまうとき、私たちはどうしても、自分のために与えられている時間や可能性が奪われていると感じてしまいがちです。そしてそれをなんとか取り返そうとするなら、そこに不満やいら立ちがわき出て来てしまうのです。でも、わが子のために、家族のために、自分の力を惜しみなく与えることが出来たときには、心はとても明るく軽くなるはずです。

   コロナ対策がすっかり身についた生活で、手洗いやマスクは当たり前になり、つまり、「外側をきれいにする」ことはきちんと出来るようになりました。イエスさまのことばは、「外側」をきれいにすることで守っている私たちの「内側」はちゃんと生き生きとしていますか、と問いかけています。


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