わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ。強い人が武装して自分の屋敷を守っているときには、その持ち物は安全である。しかし、もっと強い者が襲って来てこの人に勝つと、頼みの武具をすべて奪い取り、分捕り品を分配する。わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている。
聖書の中に出て来る、「神の慈しみ」とか「神の赦し」という言葉が意味しているのは、究極のやさしさや思いやりのことです。そして、それが存在するところでは、神の愛に反するものは退散せざるをません。また、聖書で「悪霊を追い出す」と言っているのは、オカルト的な魔術の話ではなく、イエスさまが、人を癒やし、救おうとして働かれるとき、神の愛に反するものは消えていくということを言っているのです。だから、別の箇所では、「弟子たちにも悪霊を追い出す力を与えた」と書かれているのです。光が灯されれば周りが明るくなるように、やさしさを携えた人が一人いれば、必ずそこに幸せが生まれるのです。悪の力がどれほどしぶとくても、神さまから来る力は必ずそれを凌駕するということを、「もっと強い者が勝つ」というたとえで示しているのです。そしてこの力が働くためには同じ思いを持った人が必要なのです。だからイエスさまは、「わたしと一緒に働いてくれ」と訴えるのです。「わたしと一緒に集めない者は散らしている」という言葉は、「一緒に、この世界にやさしさを広げよう」という呼びかけなのです。
一見何の力もないように思える「やさしさ」こそが、人を苦しめる様々な悪を退散させる力であることを、私たちは本当は気がついているのだと思います。この「やさしさ」でわが子を包みましょう。その「やさしさ」の大切さをわが子に伝えていきましょう。可能な限り「やさしさ」の方を選択するなら、それは、イエスさまの「味方」につくことになります。
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