「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。
・・・ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。
同じようにレビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。
ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。
・・・だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」
律法の専門家は言った。
「その人を助けた人です。」
そこで、イエスは言われた。
「行って、あなたも同じようにしなさい。」
「隣人を自分のように愛しなさい」とは、「人に対して、母親のようでありなさい」という意味だと前回書きましたが、イエスさまは、有名な「善いサマリア人のたとえ話」をなさいました。
私たちは、自分の狭い世界が平和で幸せであればそれでよいと思い、手に入れた幸せをかき乱されないために、面倒なことには目を向けないようにしてしまいがちです。
たとえ話に出て来る通りすがりの人たちは、そういう人たちです。
そして、三番目に登場する「サマリア人」といいうのは、歴史的な経緯もあって、ユダヤの人たちから軽蔑されていたのですが、まさにその人が、狭い自分中心の殻を破って、倒れている人を助けるというお話です。
イエスさまは、「隣人愛」とは、自分たちの狭い世界に閉じこもるのではなく、その外側にあるもっと大きな豊かな世界に気づくことだと教えられたのです。
もう、お気づきと思いますが、「神への愛」の意味こそ、ちっぽけな私の外側に広がる大きな豊かな世界に気づくことです。
つまり、「神を愛すること」と「人を愛すること」は、同じことを意味しているのです。
大きな豊かな世界の中で誰もが繋がっているということを忘れないでいたいものです。
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