イエスはある人に、「わたしに従いなさい」と言われたが、その人は、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った。イエスは言われた。「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい。」また、別の人も言った。「主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください。」イエスはその人に、「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」と言われた。
イエスさまにとって、行動の原点は、今神に生かされていることへの感謝と、その喜びを伝えることでした。その原点から離れさえしなければ、どんな行動もゆるされるのです。私たちは、今を大事にしていると言いながら、感謝のこころは置き去りにしていることが多いのです。それどころか、過去のことや、先のことばかりが気になって、今を大切にすることさえ忘れています。
人のことを批判したり軽蔑したりし始めるとき、すでに私たちの心は過去を見ています。今わたしに与えられているすばらしい時はもう眼中にありません。また、先のことを心配したり、念入りに準備をし始めるとき、そのこと自体は大切なことではありますが、すでに私たちの心は、今という時の豊かさを味わうことを忘れています。
たびたび「今」という時の豊かさを思い出すために、イエスさまはそれを、「神の国」という単語で表現したのです。親しい人との別れは、ただただ悲しいものだけれども、その人と出会えたこと、その人が神さまのもとへ帰ったことを感謝することも忘れてはならないのです。また、暫しの別れを惜しむために時間を割くことは、決して悪いことではないけれど、どんな時も天の下で一緒に今を生きているという思いを忘れないことはもっと大切なのです。子育てで思い悩むことがあるときには、今という時の豊さを思い出すようにしましょう。
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