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書き下ろし連載153
二つの物差し
ルカ福音書9章46ー48節

細井保路

   弟子たちの間で、自分たちのうちだれがいちばん偉いかという議論が起きた。イエスは彼らの心の内を見抜き、一人の子どもの手を取り、御自分のそばに立たせて、言われた。「わたしの名のためにこの子どもを受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。あなたがた皆の中で最も小さい者こそ、最も偉い者である。」

   誰が一番偉いかと言うような、はしたない競争はしなくても、私たちは心のなかで、自分の方がましだとか、自分の方が上だというようなことをすぐに考えてしまいます。人の優劣を決めるだけでなく、どちらが得かとか、どちらが自分にとって都合がよいかというようなことも絶えず考えながら行動しています。つまり、自分が基準になっているのです。

   もちろん、自分以外に基準にするものなどないのですから、しっかりと自分の立ち位置から物事を判断していくことは大切なことです。しかし、頼りになるはずの自分も、頂いたいのちを生きているのであり、たくさんの出会いに支えられていることを認めるならば、イエスさまが、「わたしをお遣わしになった方」と言っている、私たちをこの世に送り出してくださった大きな力こそがもう一つの基準だということに気づきます。

   「私」という流動的な物差しと、「私を生かしている大いなる力」という万人に照準を合わせた物差しとの両方を使って、物事を判断することが必要です。そして、その普遍的な物差しを当てて相手を見るときには、いつも相手のいのちの尊厳をしっかりと認めることができるのです。その時には、「私」という物差しは大した意味を持たなくなるのです。

   競争社会を生き抜くという名目で「私」という物差しを振りかざすのではなく、もっと大切なことがあることを、子どもの姿の中に見つけていきましょう。


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