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書き下ろし連載152
わたしを包む力
ルカ福音書9章28ー36節

細井保路

   イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた。 祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服はまっ白に輝いた。 見ると、二人の人がイエスと語り合っていた。モーセとエリアである。 二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最後について話していた。 ・・・すると、「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。 その声がしたとき、そこにはイエスだけがおられた。 弟子たちは沈黙を守り、見たことを当時誰にも話さなかった。

   三人の弟子達は、一緒に祈っていたときに、イエスさまが光り輝いたと伝えています。正確には、イエスさまが輝いていたのではなく、イエスさまを包む大きな力を感じたのだと思います。皆さんも同じような経験をしたことがないでしょうか。

   目の前の人が少しも力を誇示していないときに、そしてこちらも相手に自分の願望や要求を押しつけていないときに、ふいにその人の存在が大きな温かい力に包まれているのを感じたことはないでしょうか。そうです。幼いわが子の屈託のない笑顔に癒やされたときに、その非力な小さな子どもを、大きな力が支えてくれているのを感じたことがあるはずです。

   本当は、人は誰でも、大きな大きな自然に包まれ、社会に支えられ、壮大な歴史の流れの一番先頭の所に、穏やかで温かい力を身に受けなら立っているのです。

   知らず知らずのうちに、相手より優位に立ちたいと思ってしまっている私たちは、相手を見下すか、過剰な期待をするかのどちらかで、一人ひとりの背後に控える大きな力に感動することを忘れてしまっているのです。

   旧約時代の立役者モーセとエリアが現れたと弟子達が言うのは、イエスさまが壮大な歴史に押し上げられるようにしてそこにいると感じたからなのです。


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