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認定こども園 聖愛幼稚園

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書き下ろし連載150
自由な心
ルカ福音書9章18ー20節

細井保路

   イエスがひとりで祈っておられたとき、弟子たちは共にいた。そこでイエスは、「群衆は、わたしのことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。弟子たちは答えた。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『だれか昔の預言者が生き返ったのだ』と言う人もいます。」イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「神からのメシアです。」

   私たちは、新しい何かに出会うと、自分の持っている知識や経験の中から似ているものを探しだし、ほぼそれと同じだと安心してしまいます。新しいことに対応するのは面倒だし、未知の事柄には不安がつきまといます。こうして、新しいことが受け入れられるのには時間がかかるのです。

   イエスさまの教えの新しさに飛びついた人たちも、多くは戸惑いを感じていたのです。現状の閉塞感を打破してくれるような人を求めてはいるけれど、「自分を捨てよ」というような過激な発言にはとてもついていけないと感じるのです。

   それでも、いつも一緒に行動していた弟子のペトロは、「あなたこそメシアです、つまり私にとっての救い主です。」と答えたのです。ペトロはイエスさまを見習うことで、「救われた」と感じた、心が自由になったと実感したのです。私たちは、因習や、世間の目や、くだらない思い込みや、間違った知識などに囚われていて、自由に発想し自由に行動することが案外できていません。何事も「神に立ち帰る」ところから再スタートするならば、もっと自由な軽快な心を取り戻すことができるということを教わったのです。

   私たちは十分自由に考え、自由に行動していると思っていますが、案外自分で自分を縛ってしまっていることに気づいていません。心と体の緊張を解くならば、もっと軽やかな気持ちを取り戻すことができるはずです。


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