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書き下ろし連載146
頭上に神の愛を頂く
ルカ福音書8章26ー39節

細井保路

   イエスが陸に上がられると、この町の者で、悪霊に取りつかれている男がやってきた。 イエスを見ると、わめきながらひれ伏し、大声で言った。 「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ、頼むから苦しめないでほしい。」イエスが、汚れた霊に男から出るように命じられたからである。

   聖書の舞台になっている古代の社会では、社会にうまく適応できずに苦しんでいる人たちに「悪霊に取り憑かれている」というレッテルを貼ってしまっていたようです。 自分たちが見捨ててしまいたい人に対して、「神さまが見捨てた人」というレッテルを貼って、状況に対応できない自分たちを正当化していたのです。

   イエスさまは、その悪霊に取り憑かれた人たちを積極的に救おうとされました。 「神さまは誰も見捨てていない」ということを示すためだったのです。 この聖書の箇所もそんなエピソードの一つです。

   社会に適応できない人、行動が極端だったり、繊細過ぎたり、感情のコントロールができなかったりする人に対して、私たちはうまく関われないので、諦めて距離を置きます。 そして、「彼らは手に負えない」と言い訳をします。 手に負えないということは、コントロールできないということであり、私たちは無意識のうちに、どこかで相手をコントロールしようとしているのです。 相手を支配するという尊大さが膨れあがるとき、その力に押しつぶされた人たちが生きづらさの中で苦しむことになるのです。 「人が人を支配する」という間違いが社会の歪みを生み、その歪みが弱い人を苦しめるのです。

   イエスさまは、誰もが神さまの愛を頭上にいただくことによって「人が人をコントロールする」という愚かさから抜け出せるという可能性を示してくださったのです。

   これから迎えるクリスマスは、その神さまの愛を示してくださったイエスさまが、私たちのところへ来て下さったことをお祝いするものなのです。


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