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書き下ろし連載145
嵐をしずめる
ルカ福音書8章22ー25節

細井保路

ある日のこと、イエスが弟子たちと一緒に舟に乗り、「湖の向こう岸に渡ろう」と言われたので、船出した。渡って行くうちに、イエスは眠ってしまわれた。突風が湖に吹き降ろして来て、彼らは水をかぶり、危なくなった。弟子たちは近寄ってイエスを起こし、「先生、先生、おぼれそうです」と言った。イエスが起き上がって、風と荒波とをお叱りになると、静まって凪になった。イエスは、「あなたがたの信仰はどこにあるのか」と言われた。

   嵐を鎮めたイエスさまは、弟子たちに向かって、「信仰がないのか」と叱責します。別のところでは、イエスさまは、「ほんのわずかでも信仰があれば、山を動かすこともできる」(マタイ福音書17・20)と言われます。いくら念じても自然界の法則をねじ曲げることなどできるはずはありません。しかし、弟子たちは、イエスさまと共に過ごす間に、時々、嵐が静まるというような驚くべき出来事に遭遇したというのです。

   私たちは、「信仰」という言葉を、何かにすがることだと思いがちです。しかも自分の都合のいいときだけすがるのです。ところが、イエスさまの言う「信仰」は、神さまのお望みにどこまでも寄り添うことなのです。つまり、どんな時も人の幸せを真剣に願うことなのです。私たちは、自分の立場が悪くなれば腹を立てたり、人を責めたり、自分だけ助かろうとしたりします。そんな時でも自分の都合を優先させず、人の幸せを思うことができるほどに神さまの心と一致していたなら、奇跡的な変化もありうるのだと思います。現実にはそんなにスケールの大きな心を私たちは持ち合わせていませんが、「信仰」とは、単に神にすがることではなくて、神の想いに近づくことなのだと気づくことが大切なのです。

   自分のスケールの小ささを痛感したら、もっと大きくやさしい心を持つことを夢見て歩んでいきましょう。その先には奇跡のような出来事が待っているはずです。


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