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書き下ろし連載136
世界を美しく見る
ルカ福音書6章41−42節

細井保路

   あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。 自分の目にある丸太を見ないで、兄弟に向かって、「さあ、あなたの目にあるおが屑を取らせてください」と、どうして言えるだろうか。 偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にあるおが屑を取り除くことができる。

   目に大きな丸太が挟まった状態で、人を批判している人物を想像してみましょう。 ギャグ漫画のような情景です。 イエスさまは、私たちが時として、そんな姿になっていることに気づかせようとされたのです。 人の間違いを指摘したり、批判したり、相手を責めたりするときに、もし目の前に大きな障害物があって、現状をなにも把握できないでいるのだとしたら、批判は見当違いなものになってしまいます。

   もちろん時には、勇気をもって間違いをたださなければならないこともあります。 しかし、多くの場合、相手を裁く前に、私は現実をちゃんとつかんでいるのか確かめてみる必要があります。

   私にはこのことの全体像が見えているのか? 私は相手の側の理由を考えたことがあるか? 私は自分の感情だけで判断していないか?などと考えてみれば、批判や怒りが、本当はどうでもいい小さなことであると気がつく場合もあるのです。 「まず自分の目から丸太を取り除け」というイエスさまの言葉は、言いかえれば、「まず自分が抱えている荷物をおろしてみよう」「まず自分がとらわれている感情から抜け出してみよう」というようなことなのです。

   自分の目の前にうっとうしいものを抱えていると、周りの世界も、相手の態度もすべてうっとうしく見えてくるけれど、目の前をすっきりさせると、ずべてがもっとすっきりと美しく見えてくるといのは、本当だと思います。


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