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認定こども園 聖愛幼稚園

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赤鬼からの手紙(2018年8月号)



『おとなになれなかった弟たちに』

米倉斉加年 著

偕成社


   今年の暑さは日本中の多くの場所で記録的なものになっています。 連日のようにTVニュースの画面では、命が危ぶまれる暑さであると報じられ、熱中症で亡くなる方も増え続けています。 未曽有の水害に見舞われた地域でも、この酷暑が復興の手を阻んでいます。 知恵を絞り、手を取り合って声かけながら凌いでいくことが大切だと、、、一人で出歩かないようにとも言われています。 手を伸ばせば、近場にいる人を助けることが出来るのは、人として感謝できることでもありますね。 手を伸ばしても何もできない時代もありました。 たった一人の幼い弟を助けることが出来なかった哀しいお話です。

 ぼくの弟の名前は、ヒロユキといいます。ぼくが小学校4年生のときに生まれました。 太平洋戦争のまっさいちゅう、父は戦争にいっていました。B29という飛行機が、毎晩のように日本に爆弾をおとしにきます。夜もおちおちねていられません。ぼくと母と祖母と妹と弟の家族5人、じぶんたちでほった地下室、防空ごうでねていました。
 そのころは食べ物が十分なかったので、母はぼくたちに食べさせて、じぶんはあまり食べません、だからおチチが出なくなりました。ヒロユキの食べるものがありません。ときどきミルク一缶の配給がありました。それがヒロユキのたいせつな食べ物でした・・・。 あまいものがなかったそのころ、アメもチョコレートも、おかしもなにもありません。くいしんぼうのぼくは、弟のミルクはよだれがでるほど飲みたいものでした。母はよくいいました。ミルクはヒロユキのごはんだから、それしか食べられないのだから―――と。でもぼくはかくれて、ミルクをぬすみ飲みしていました。それも、何回も・・・。ぼくは弟がかわいくてしかたがなかったのですが・・・。それなのに飲んでしまいました。
 空襲がひどくなり、疎開の相談をするために、弟をおぶった母とぼくはしんせきのいるいなかへ出かけましたが、しんせきの人はぼくたちを見るなり、うちにたべものはないといいました。母はくるりとうしろをむいて、ぼくにかえろう、といいました。そのときの母の顔は強く、悲しい顔でした。ぼくたち子どもを必死で守ってくれる母の顔は美しいです。ぼくはあのときのことをおもうと、いつも胸がいっぱいになります。
 母はいったこともない山のなかの親切な人にたのんで、やっと疎開先がきまりました。ぼくたちがおせわになる農家は、山が頭の上においかぶさるような山すそにありました。母は生まれてはじめて田植えを手伝い、昼に出されるごはんをぼくたちにのこして、もって帰ってきました。疎開者には配給もないので、ヒロユキのおチチにはこまりました。となり村に山羊をかっている農家があるときけば、母は自分の着物をもってでかけていきました。ぼくはおとうとが欲しかったので、よくおんぶしてかわいがりました。 ヒロユキは病気になりました。村から三里はなれた町の病院に入院しました。10日間くらい入院したでしょうか。ヒロユキは死にました。病名はありません。栄養失調です‥‥・。
 弟が死んで九日後の8月6日に、ヒロシマに原子爆弾がおとされました。その三日後にナガサキに――――。そして、六日たった1945年8月15日に戦争はおわりました。 ぼくはひもじかったことと、弟の死は一生わすれません。

   「死んだヒロユキばかりではない。罪も無い乳児を栄養失調で死なせなければならなかった周囲の大人達も不幸である。 自分の子に何もできず顔すら見ることができなかった父も不幸である。 作者一家の顔をみるなり追い返さなければならなかった親戚も不幸である。 弟のミルクを奪った作者も不幸である。 なによりも自分の長男が次男の唯一の食料を取ることを咎めることが出来なかった母はもっとも不幸である。 弱い子供が被害者であるとともに、より弱い者に対しては加害者になってしまう。 被害者を、同時により弱い者への加害者にもしてしまったものはいったいなんであるか? ヒロユキのミルクを主人公が盗み飲みすることを母は何故?きつく咎めることが出来なかったのか? 教科書の指導書は生徒の指導に当たって問いかけるよう求めている。」

   またある対談ではこんなことを語っています。

「ぼくも自分の弟が、オレがミルクを飲んだために死んだという恨みつらみがあるんですよ。子どもには小さな缶が一つ配給されるだけだもの、食べ盛りのぼくは盗み飲みするわけですよ。もし、ぼくがあれを飲まなければ生きていたんじゃないかという、この恨みは激しいんだ。誰が殺した。ぼくが殺した。じゃそういう状況に追い込んだのはいったい何なんだ・・・・」

   米倉さんの挿絵は独特の世界観を持っています。「多毛留」という絵本は衝撃的なデビューでした。描かれた繊細な線の中に、おどろおどろしいような刹那さがありました。今回の作品は、その線がやわらかく美しく、時に凛としながらも、表紙の赤子の愛らしさは家族の愛情にあふれています。そして、見開きの哺乳瓶を打ち抜いた弾丸のあとはその現実の厳しさを確かに伝えています。弟の名を”ヒロユキ”と明記したのも、ヒロシマ、ナガサキの表記と同じくすることで、普遍的なものにするためであると・・・。

   今年の8月は絵本と共に、親子で平和を考える時を持ってみませんか?

(赤鬼こと山ア祐美子)

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