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認定こども園 聖愛幼稚園

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赤鬼からの手紙(2018年3月号)



『わたしのおひなさま』

内田麟太郎 作
松本 孝 絵

岩崎書店


   暦の3月の声を聞いても、まだまだ肌寒く感じる日々がありますが、少しずつお日様の光は温かさを増しています。花屋さんの店先には、もう可愛いピンクの桃の花が並び始めて、いち早く春の訪れを伝えてくれています。思わず"春よ、来い〜早く来い〜"と歌いたくなりますね。そんな春を呼ぶのにふさわしいお祭りが「ひな祭り」です。女の子の大事なお祭りです。そして、お雛様の近くには、必ず春を呼ぶ桃の花が添えられています。

   さて、みなさんは「ひな祭り」にはどんな意味が込められているか知っていますか?

「このこが じょうぶになりますように。ひとりで おんもに でられますように。」
ももちゃんのおばあちゃんは、おひなさまでももちゃんのからだをさすってくれます。
ももちゃんはおひなさまを川にながしました。
「ももちゃんのびょうきをおひなさまがしょってくださるのよ」とおかあさんがいいました。そのとき、川から手がのびて、ももちゃんのおひなさまは、水の中へ・・・
「かえして―おひなさまをかえして―」きがつくと、ももちゃんも みずのなかにいました。かっぱのおとうさんが「このおひなさまを わしにくれ―、むすめが しにそうなんじゃ―」とふりかえりました。川のなかは あおくすみきっていました。かっぱの おんなのこは ぜいぜいあらいいきをして、くるしそうです。かっぱのおとうさんは おひなさまでかっぱのおんなのこのからだをさすりつづけました。「おたのみもうします、どうか かなこをたすけてやってくださいまし」おとうさんはなんどもなんどもいいます。ももちゃんも、かなこちゃんがたすかるようにいのっていました。
そして、みんながふりかえると、かなこちゃんはからだをおこしていました。かなこちゃんはげんきになったのです。ももちゃんはかなこちゃんから、ひしもちと同じいろの三つのきれいなこいしもらいました。かっぱのおとうさんにおくってもらって、きしべについたももちゃんのかみも、ふくもちっともぬれていません。
ももちゃんは ゆめをみたのでしょうか・・・


   「ひな祭り」の歴史はとても古く、その起源としてはこんなことが言われています。
――中国、漢の時代、徐肇(じょちょう)という男は3人の女児をもうけたのですが、3人とも3日以内に死んでしまったそうです。 嘆き悲しむ徐肇を見た村の人々が酒を持ち寄り、亡骸を清めて水葬にしたそうです。 これが日本にも伝わりました。平安時代になると、当時の貴族階級の女の子の間では、紙の人形を使った遊び「ひいな遊び」(今で言うところの「おままごと」ですね)が流行していました。この「ひいな遊び」と結びついて、3月3日に陰陽師を呼びお祓いをさせ、自分の生年月日を書いた紙の人形(ひとがた)に移らせて川生したのです。さらに江戸時代になると、人形作りの技術が向上したことで川に流すのではなく、家で飾るように変化していきました。ひな祭りはお祓いの意味合いがあり、雛人形は身代わりの意味があるのです。 また、雛人形はもともと呪具としての役割もあり、 それは現在でも東北地方の風習に残されています――

   こうして、今の私たちの知っている「ひな祭り」にまでつながっているのだと思うと、いつの時代でも、子を思う親の気持ちは同じなんだと実感させられます。

   この絵本では、かっぱの親子が出てきます。かっぱのおとうさんとおかあさんのかなこちゃんによせる思いの深さにじ~んとしてきます。内田麟太郎さんの描くお話の世界は、いつもほっこりとさせてくれます。不思議なお話なのに、とても身近に感じられて、きっと近くの川にもこんな親子がいそうな気がしてきます。流しびなの風習が残っている地域もありますから、どこかでこの絵本の表紙にあるお雛様を見かけることもあるかもしれません。

   今年は、ひな人形を飾るだけではなくて、折り紙でおったおひなさまで、わが子のからだをさすりながら、健康を願い、幸福を祈るのもいいですね。

(赤鬼こと山ア祐美子)


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