あけましておめでとうございます。
2016年、申年の始まりです。今年はどんな1年になるでしょうか。
年頭に願うことが叶う年にしたいものですね。
昨年末に、今年の漢字が京都清水寺で発表されました。
全国の公募で選ばれたのは「安」という漢字でした。
多くの人の思いの中には”安心と安全”の願いが込められているのだと感じました。
ひとり一人が心にとめて、身近にできることから始めることが大切だと改めて思っています。
”申年”のさるは時を示すものでしょうが、やはり私たちには”猿”が一般的ですね。
さて、その猿が登場するお話といえば・・・
むかしむかし、かにがしおくみをしようとおもうて、はまべにでたら、すなのうえにかきのたねがおちていた。かには うちのにわにそのたねをまいて、まいにちまいにち、せっせとみずやり、こやしをやったりしては
「はよう めをだせ かきのたね、ださんと、はさみで、ほじりだすぞ」というておったら、かきのたねは、ほじりだされてはかなわんとおもうたかして ちいさなめをだしたそうな。
かきのめは かにのせわのおかげで、ぐんぐんのびて、たわわにみがなった。そこで、かには、これがさいごとおもうて
「はよう うれろ、かきのみ、うれんと、はさみで、もぎりとるぞ」というておったら、かきのみは ここまできて もぎりとられては かなわんと、いっせいにあわてて まっかにうれだした。なかにはまにあわんで、まだちょっと あおいところがのこったなりで さがってゆれておるのもあった。
かにはうれしゅうてうれしゅうて、がしゃがしゃとかきの木に、はいのぼっていっちゃおち、はいのぼっちゃおちしていた。すると山のうえからいっぴきのさるがそれをみておった。
かきの木のところへひょいひょいと山からかけおりてきて、「よし、そんなら おらがもいでやろうか」というがはやいか、がちがちとかきの木のてっぺんまで かけのぼって、まっかにうれたかきを、目にもとまらんようにつぎつぎにくいはじめた。かにはびっくりしてあわをふいて「やあい、いっちょぐらい、こら、もいでよこさんか、おおい」というたら、さるは「なんだ、よし、ほれ」と、まだあおいかおをして おもたそうにゆれとった おおきなかきをもいで かにに なげつけた。かには ぺしゃりとつぶれてしもうた。そのとき、こうらのしたから、かにのこどもが ずぐずぐ ずぐずぐと はいだしてきたそうな。
かにのこどもは きびをそだててきびだんごをつくり おやがにのあだうちに さるのばんばにでかけることになった。
「かにどん かにどん、どこへゆく」 「さるのばんばへ あだうちに」
「こしにつけとるのは、そらなんだ」 「にっぽんいちの きびだんご」
「いっちょ くだはり、なかまになろう」 「なかまになるなら やろうたい」
こうしてつぎつぎに、ぱんぱんぐり、はち、うしのふん、はぜぼう、石うすがなかまになった。
さてさて、このあだうちの結末は、いったいどうなったでしょうか・・・
猿の絵本といえば、やっぱり「猿蟹合戦」が思い浮かびます。佐渡島に伝わる民話といわれています。起源はいつ頃なのかはよくわかりませんが、江戸時代には庶民に親しまれた絵草紙があったようです。たくさんの絵本や昔話の書物があり、紙芝居になったり、演劇などでも表現されています。あの芥川龍之介の作品の中にも同名の短編小説があり、蟹たちは仇討ちした後に逮捕されて処刑されるという少々風刺のきいた結末になっています。また、地方によっても表現が違うものがあるようです。主流は蟹の持つおむすびと猿の持つ柿の種を交換するというのが多いようですが、1887年の教科書に掲載されたものでは、栗が卵になって爆発したり、牛糞が昆布、関西では油で滑るという表現もあったということです。昭和末期以降は、蟹や猿は怪我をする程度で、猿は反省して皆で平和に暮らすということになっていたとのこと。これは、仇討ちというのが残酷で子どもたちにとって教育的によくないとされましたが、現在はその考えも見直されています。それだけ、この話には長い間読み継がれてきた普遍性があるということですね。
今回はその中でも、「かにむかし」をご紹介しました。私の中には、これしか浮かばないというのが本当の気持ちです。木下順二さんの語りの温かさが大好きです。確かに仇討には違いないし、猿の仕業もあってはならないことではありますが、その中に流れるほっこりとした、親子の愛情や、仲間の結びつき、力を合わせる知恵の出し方の面白さや、そして最後には大きな許しさえ感じます。親がやっつけられてしまうわけですからとんでもないことですが、木下さんの語りはその悲しむべき事実もすんなりと伝えてくれます。そして、清水崑さんの絵が素晴らしいです。まるで墨絵の様ですが、その静かで力強い筆さばきによって、それぞれの色が鮮やかによみがえってきます。たわわに実った柿の実の、その美味しそうなことといったら!!手を伸ばしてもいでみたくなります。楽しさや喜び、悲しみや寂しさだけでなく、残酷さや怒りというものも子どもの世界だからこそ避けては通れない事柄です。この絵本では、作者二人の手によって事実そのものが伝わり、子どもたちが学ぶ場面が生まれていきます。
「見ざる聞かざる言わざる」
いやいや、絵本はそうはいきません。この大型絵本を開いてじっくりと見て、大きな声でたっぷりと語り、そして、じっくりと耳を傾けてください。
(赤鬼こと山ア祐美子)
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