温度計が止まるのを忘れたような暑さが過ぎて、空は入道雲から鰯雲へ。
そして、ミンミンゼミからヒグラシの声もだんだんにぎやかになってきています。
ヒグラシを漢字で書くと、いろんな表現がされますが、「秋蜩」とも書くそうです。
あの”カナカナカナ・・・”を聴くと、なんだか懐かしい気持ちになるのはなぜでしょうか。
どんなに時代が変わろうと、日本の秋には必ず、鰯雲と秋蜩が私たちを待っています。
きっとお父さん、お母さん、おじいさん、おばあさん、そしてひいおじいさんやひいおばあさん、みんながそんな日本の秋を待っていたことでしょう。
ヒグラシもそうやって、ずっといのちをつなげてきたのですね。
空に向かって枝を伸ばしているデイゴの木、今年も真っ赤な花をつけました。
おもしろい形をした石のお家の前で、大勢の人たちがお弁当食べたり、おしゃべりしたり。
サンシンの音に合わせて、歌う人や踊る人まで出てきました。
石のお家の前は大にぎわいです。
はじめてこの島にやってきたコウちゃん。さっきから、目を真ん丸にしてその様子をみていました。そこで島のオバアにたずねました。
「みんな、なにしているの」
「だいじなご先祖さまのお墓参りさあ〜」
「お墓参り!?」
コウちゃんがお家だと思っていたのは、島どくとくのお墓だったのです。
こうやって、親せき中が集まって、ご先祖さまに「ありがとう」を伝えるのです。
オバアがコウちゃんにたずねました。
「ぼうやにいのちをくれた人は誰ね〜?」
「それは・・・お父さんとお母さん?」
「そうだねえ。いのちをくれた人をご先祖さまと言うんだよ」
「お父さんとお母さんって、ぼくのご先祖様なの?」
コウちゃんはびっくりです。
「お父さんとお母さんにいのちをくれた人がいなければ、ぼうやは生まれてないさぁ〜ね」
コウちゃんの頭の中に、4人のおじいちゃんとおばあちゃんの顔がうかんできました。
コウちゃんは、指を折って数えてみました。
「ぼくにいのちをくれた人、2人」
「お父さんとお母さんにいのちをくれた人、4人」
「おじいちゃんとおばあちゃんにいのちをくれた人、8人」
「ひいおじいちゃんとひいおばあちゃんにいのちをくれた人、16人」
「そのまた上に、32人」
「そのまた上に・・・」 「もう数えられないよ」
「いのちは目には見えないけれど、ずっとずっと、つながっていくのさぁ〜」
私も沖縄に行ったときに、石舞台のような、社のようなお墓を初めて見たときはびっくりしました。
絵本のコウちゃんが見たように、そのお墓にたくさんの人が集まって大宴会をしていたのを見て不思議な思いがしたのを思い出します。
それは「亀甲墓」と呼ばれ、方言では”カーナミクーバカ”というそうです。昨年沖縄へ旅することがあった時には、博物館や壺屋焼物館の学芸員の方からいろいろ学びました。
沖縄の人々がどれだけご先祖様を大事にしてきたのかがよくわかりました。
沖縄では個人のお墓のような考えはなく、すべて一族のためのお墓という考えを持っています。
だから、お墓は大きな一族の家のようなものなのです。
1年を通してお墓にはたくさんの行事があります。
人が生まれてから成長し、青年、壮年、老齢になり死ぬまで、そして死んだ後も、様々に祝い事や記念日があります。
お墓で集まるたびに、自分の命がつながりのあるものであることを感じることが出来ます。
一説では「亀甲墓」の形は母の胎内の形をしているとも言われているそうです。
皆が集まってほっとした気持ちやうれしい気持ちになるのもそんなことがあるのかもしれません。
琉球王国といわれた時代からずっと人々が守り、伝えてきたことなのですね。
沖縄には「ぬち(命)どうたから(宝)」という言葉があります。
「命こそ宝」という意味です。絵本のなかの見開きのページを開くと、その繋がる命の宝が自分に向かって降ってくるような気がします。
こんなに沢山の宝に守られて今の私の命があるんだと思わせてくれます。
”祭り”は人と人、人と場所、人と歴史、人と音楽、人と文化、あらゆるものをつないできました。
そこにはきっと、数えきれないほどのご先祖様が”祭り”を楽しんでいるのかもしれません。
(赤鬼こと山ア祐美子)
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