学校法人 聖愛幼稚園
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赤鬼からの手紙(2015年2月号)



『 島ひきおに 』

山下 明生 / 作
梶山 俊夫 / 絵

偕成社
1,400円(税別)


   2015年は様々な節目の年といわれます。戦後70年、阪神淡路大震災から20年、地下鉄サリン事件から20年など、たとえ当事者ではなくとも、忘れられないことです。自らが傷つき、家族を失い、家を失い、故郷を失い、深い悲しみに包まれた年月が重なりました。それでも、人は新たなものを見出して生き抜くすべを学んでいます。でも一人では決してできません、人々がともに支え合うことで生まれたことのように思います。遠く離れた場所で起きたことと思うかもしれません、ずいぶん昔のことだからと思うかもしれません、その場に行かれなくても、その時代を知らなくても、悲しみを負った人々の想いに寄り添うことはできます。どうやったら、寄り添うことができるかをもう一度みんなで考えていきましょう。

なんぼか昔の話。
広い海の真ん中に おにがひとりぼっちですんでるという小さな島があった。
おには 毎日毎日 海の向こうを眺めながら、
 一つ つんでは ちち こいし  二つ つんでは はは こいし
 三つ つんでは ひと こいし と 砂浜の石を積み重ねては 歌っていたと。
たまたま 空の鳥や沖を通る船を見ると、
「おーい、こっちゃ きて あそんでいけ!」と呼びかけた。
おにのいる島によりつく者などいるわけもなく、おにはひとりぼっちで寂しかった。
ある嵐の晩のこと。ちょうど、沖を通りかかった漁船が、遠くに光るおにの目を、家の灯りと見間違えて、助けを求めて島へやってきた。おには喜んだ 喜んだ。
「おーい こっちゃ あがって あそんでいけ!」
驚いたのは漁師たち。安心じゃと思ったところへ、目を光らせたおにが現れたのだ。
「いのちばかりは おたすけください。なんぼでも いうことは ききますけん。」
と必死に おににたのんだ。そこで、おには漁師にこうたずねた。
「それじゃ、ひとつ おしえたりや。わしは、ここにひとりで おるのが、さびしゅうてならん。あんたらと いっしょにくらしたいが どうしたら ええんかのお。」
漁師たちは、おにといっしょに暮らすなんて・・・
「わしらの島はせまいので、あなたの島をひっぱってきんさったら・・・」
と、いくらなんでも、おにが島をもってはこないだろうと口から出まかせを言った。ところがおには、
「これは、ええことをおしえてもろた・・・」
と漁師にお礼を言うと、とうとう島を引っ張って歩き始めた。えんやこら えんやこらと 海の中を歩いていった。海はどんどんふかくなる。
 本当に島を引っ張ってきたおにに 村人たちは頭を抱えて相談した。痩せっぽちの村人が3人がおにのところへ出かけていった、
「わしらの村はびんぼうで、みんなこがいに ほねとかわです。たべてもおいしゅうはありません。どうぞ ほかのところへ いってくれんしゃい」
とわざと死にそうな声でたのんだ。おには
「たべたりはせん、いっしょに あそびたいだけじゃ」
といっても、わかってはもらえず、村人に言われるままに、またほかの村へと島を引っ張りながら、海の中を歩いていった。 何度も、どこの村にたどり着いても仲間にしてはもらえない。
「みなみのほうのうみにいけば、おにとにんげんが いっしょにくらせるところがあるそうな・・・。」
と西の島のばあさまに言われた。その言葉を信じて、おには南へ南へと歩いた。 何日も、何年も、おには歩いていった。おにの引っ張る島は、波に削られて消えてしまった。それでもおには
「おーい、こっちゃ きて あそんでいけ!」
と呼びかけていた。

   これほどに哀しい鬼の絵本を私は知りません。読みながら何度も泣いてしまいます。「泣いた赤鬼」も心痛むお話でしたが、赤さんには青さんという友人がいました。そして、その青さんの友情の心根に泣いた赤さんでした。でも、島ひきおにはひとりぼっち。

   お話は、作者の山下明生さんの故郷広島県能美島のそばにある無人島、敷島に伝わった伝説がもとになっているそうです。もとは引島と呼ばれたそうですが、言い伝えでは、島を引っ張り続けた鬼は力尽きて、ここで死んだということだったのです。でも、山下さんは鬼を死なせたくなかったと語っておられます。鬼は今でも、孤独を抱えながら仲間を求めて、理解を求めて、愛を求めて、あの海を歩いているのかもしれないと…。そんな鬼の哀しさや切なさを、梶山さんの絵は画面いっぱいに伝えています。梶山さんの鬼の絵は、たくさんありますがどの鬼にも、あたたかい血が流れているように思えてなりません。表に見える体中の躍動感と心に潜むはかない思いの対比が素晴らしいです。

   見るからに恐ろしげで、取って食うのが鬼というものの常識であるのかもしれません。でも、目に見える部分だったり、信じ込まれてきた部分のみで判断してしまうようなことが、私たちの周りにもあるような気がします。喜びを分かち合ったり、悲しみに寄り添うには相手の立場にどれだけ立てるかを思うことが大切なように思います。

   あなたの周りに、島ひきおにはいませんか?

(赤鬼こと山ア祐美子)

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