あけましておめでとうございます。
新しい年を迎えるたびに、今年こそは世界が平和に穏やかな1年でありますようにと願います。
ところが、ここ数年、世界の情勢も年々逆方向に流れているように思われてなりません。
国同士の諍いが、人々の絆を引き裂き、子どもたちがその真っ只中に巻き込まれていく現実が起きています。
昨年、17歳でノーベル平和賞に輝いたマララさんは、そのスピーチの中で、「これは私の運動の終りではなく、始まりです」と語っていました。
今年は未年です。羊は群れを成して行動するために、家族の安泰と平和を象徴する縁起物といわれています。
そして未年生まれの人は、穏やかで優しく温かく、まじめな人が多いとも言います。
今年は、そんな羊の温かさで包まれた1年になるように願います。
昔、中国のある村のお百姓さんの夫婦に元気な男の子が生まれました。初めて授かった男の子は大事に育てられ、5歳になりました。ところが、あまりに大事にしたせいなのか、気に入らないことがあると、物を投げつけたり、食事の時も挨拶もせずに、食べ物も食べ散らかして、やりたい放題のわがままな子になってしまいました。困ったお母さんは、自分のお父さんに相談に行きました。お父さんは「しかってばかりではいけないよ。何かいいことを考えていこう。」といいました。
ある日、おじいさんが孫のお土産にと、家で飼っているヒツジの親子を連れてやってきました。男の子は大喜び、ヒツジの首についている縄をもって大はしゃぎです。しばらくすると、ヒツジの子どもが草むらに入っていきました。お母さんヒツジは「メエー、メエー」と大きな声で鳴きました。男の子は、お母さんヒツジがなぜ急に鳴き出したのかわかりません。「子ヒツジの姿が見えなくなって、心配して呼んだんだよ。」とおじいさんが話しました
おなかがすいた、子ヒツジは、お母さんの下にもぐりこんでお乳を飲みました。「ほら、ぎょうぎがいいだろう。ヒツジの子はね、しょくじのときは、ああしてちゃんとすわって、お母さんのお乳をもらうんだ、あそびながら、のんだりはしない。おまえだってそうだろう?」男の子はだまったままこヒツジをみていました。
ヒツジの親子をかうことになった男の子は、毎日ヒツジの世話をするのが楽しくなりました。ヒツジがお乳をのむ様子を見て、男の子も遊びながらご飯を食べることはしなくなり、あいさつもするようになりました。ある日のこと、男の子は、子ヒツジがあんまり可愛いので、むりやりつかまえて、耳を引っ張ったりしてふざけていました。お父さんが注意してもやめません。子ヒツジは「ベエー、ベエー」と声をあげました。さて、男の子は、子ヒツジは、どうなったでしょうか・・・
羊は、もともと日本にいた動物ではなく、1500年ほど前に珍しい動物として、朝鮮や中国から渡ってきた動物です。中国のある地域では、母方の祖父が孫に羊を贈るという風習があるそうです。このお話は、その起源とされた昔話です。
中国の言葉と文化を研究された鄭 高咏という方が書かれた文献「羊に関するイメージ考察」からのお話もお伝えしましょう。
〜子羊は親の鳴き声を聞きつけるとすぐに戻ってきて、母羊のお腹の下に潜り込んで乳を飲み始めた。
そこでおじいさんはまた口を開いた。「ほら、子羊はお利口さんだね、お母さんに呼ばれたら素直に戻ってきただろう。
子羊はね、お母さんのお乳のおかげで自分が大きくなったことをちゃんと知っているんだ。
だからお乳を飲む時、必ずひざまずくんだよ。人間も同じだ、みんなお母さんのお乳を飲んで大きくなるんだよ。 子供を育てるのは、それはそれは大変なことなんだ。 お父さんとお母さんは子供がお腹を空かせてはいけないと、泣き声が聞こえたら乳をやる。 冬は寒い思いをさせないよう、子供に暖かな布団を掛けてやり、夏は暑くてかわいそうだと、うちわで扇いでやる。 お父さんもお母さんも、子供のためにいつも心を砕いているんだ。 だからお父さん、お母さんの言うことを聞かなかったら、子羊よりも聞き分けのない子だと、人様から笑われてしまうよ。」 これを聞いて孫は言った。
「僕、悪い子だった。 これからはお父さんとお母さんの言うことを聞くよ。」 それからおじいさんは毎年この孫に羊を贈り、孫は年を追うごとにいい子になっていった。
この話が広まると、 よその家でも羊を贈って孫のしつけをするようになり、たちまちこの辺一帯の習慣として定着したのである。
ちなみに羊を飼ってない家では、マントー (小麦粉をこねて蒸したパン) で作った羊を贈るという。〜
羊の人と書いて美、善にも羊があります。他にも羊の入った漢字には良きことが多いように思います。それだけ、羊に込められた思いがあるのかもしれません。このヒツジの親子から学ぶ贈り物をこの一年抱えてよい年にしていきましょう。
(赤鬼こと山ア祐美子)
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