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赤鬼からの手紙(2014年11月号)



『 きつね森の山男 』

さく・え 馬場のぼる


こぐま社
1,300円(税別)

   台風が何度か通り過ぎたかと思ったら、急にあたりが冷え冷えしてきました。季節の変わり目に来ています。そろそろ衣替えもしっかり整えなければなりませんね。外側から体を温める衣類も必要ですが、内側から温める湯気の立つ食べ物も恋しくなります。ほかほかの焼き芋、おでん、湯豆腐、鍋焼きうどん…どれもおいしそうです。そうそう、もう一つ、忘れてはならない食べ物があります、山男の大好物なんですって・・・

 ずうっと山おくにすんでいた山男が山こえ、谷こえどんどんいくと あおいあおい森につきました。山男はとても気に入って、その森をねぐらにしようと決めました。ところが、森にはいりかけたとたんに、「まてっ、きつね森にはいることはならんぞっ。」とへいたいがとびだしてきたのです。山男が目をまるくしていると、それは、キツネがばけていた へいたいでした。たいしょうキツネがいうには「これ山男、では、この秋、大せんそうがはじまる、わがキツネ軍にいれてくれというのだな。」山男は目をぱちくり、なにがなんだかわかりません。せんそうのあいては、サルでもタヌキでもなく、おしろのとのさまだというのです。山男が、いっぽんすぎのてっぺんにのぼって ながめてみると、はるかむこうに りっぱなおしろがみえました。

 「うふうふうふ。キツネども、秋になったらみんな 毛がわじゃ」と、とのさまもこちらをみていました。とのさまのあたまのなかは、キツネの毛がわのことでいっぱい、とのさまは、なにしろゆうめいなさむがりんぼだったのです。

 キツネたちは、とのさま軍をふせぐために ようさいをつきずいていました。山男はたいへんなちからもちでしたから、石はこびなんかへいちゃら…でもせんそうより だいこんがすきだったので、せっせとだいこんつくりにかかりました。山男は、だいこんづくりのめいじんだったのです。山ぶどうもとってきて、ぶどうしゅもしこみました。

 さむくなったら、このふろふきだいこんで、ぶどうしゅをきゅーっとやるのがたまらん、と山男はせんそうのことなど、わすれていました。あきのそらもあおあおとして、なかなかせんそうにならないので、キツネたちもひょうしぬけしていました。と、そんなところへとうとうとのさま軍がやってきました。

 さてさて、キツネ軍ととのさま軍のたたかいは、どうなったでしょうか、そして山男のだいこんとぶどうしゅは・・・

   「11ぴきのねこ」シリーズでおなじみの馬場のぼるさんの絵本第一号がこの「きつね森と山男」です。当時、鉄腕アトムの手塚治虫、赤胴鈴の輔の福井栄一、とともに「児童漫画の三羽ガラス」と呼ばれ、特に手塚さんとは生涯深い親交があり、無二の親友だったそうです。手塚さんは、知り合った当初から、自分の作品に馬場のぼるさんを登場させていて、そのほとんどがトレードマークのチューリップ帽子姿のルンペンだったので、「たまには、ルンペンよりもいい役にしなさいよ」と馬場さんが言ったとエピソードがのこっています。また、馬場さん代表作の”11ぴきのねこ”が登場する手塚作品もあるのだそうです。手塚さんがどれだけ馬場さんを慕っていたのかがわかります。

   作品たちはそんな馬場さんの人柄に溢れた絵本ばかりです。この山男も馬場さんのような気がしてきます。力持ちの山男は、実は大根つくりの名人。山男のふろふき大根は寒がりの殿様の体と心までも温めてくれます。お城の周りは大根畑が広がっていました。私の住む練馬は、”練馬大根”で有名なところです。だいぶ少なくなってしまいましたが、まだまだ大根の畑は残っています。どこかに名人の山男がいるのかもしれませんね。

   あっ、そうそう、青森生まれの馬場のぼるさんの最後の住処は練馬、やっぱり山男は馬場さんだったのかもしれません。今夜のおかずはふろふき大根で決まりですね。

(赤鬼こと山ア祐美子)

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