今年はオリンピックの夏でした。記念すべき第30回ロンドンオリンピックは、7月27日の開会式のエリザベス女王の登場に始まり、8月12日の閉会式まで多くの名場面を残して無事に終わりました。世界中204の地域から10,931人の参加者が集い、私たちに沢山の想いを見せてくれました。しかし、そんなオリンピックで世界が一つになる最中でも、地球のどこかで戦いがあり、人の命が奪われていることも事実です。そして日本の夏は、8・6広島、8・9長崎、8・15終戦と、忘れてはならない67年前の『戦争』を考える季節でもあります。オリンピックで表現された躍動する命と戦争で奪われた命、どちらも国を背負った同じ命です。命の事を考えてみましょう。
「くにのために たたかえ」と みんなに はげまされて、
ぼくは せんそうに いった。
かあさんだけが ないていた。 「さようなら。かあさん」
めいれいだから、てっぽうを うった。 ぼくと おなじ にんげんに むかって。
てきの ほうだんが ぼくに むかって とんできた。
ぼくは にげることも よけることも できなかった。
かみのけと めが もえた。 あしも おなかも かおも なくなった。
ぼくの からだは とびちった。
・・・・・・・・・・・
「にいさんの かたきを うってやる!」おとうとが いかってる。
おとうとの いかりが みえる。 ゆきばもなく どろどろと うずまく いかり。
・・・・・・・
てきも いかってる。にくしみが もえあがっている。
だれのために たたかうのか。
・・・・・・ぼくは、おとうとは・・・そして、おかあさんは・・・・
輝かしいオリンピックのメダリストたちのパレードに50,000人の人たちが沿道を埋めたというニュースにとても驚きました。涙を流しながらオープンカーの選手たちに声援を送る人たちの手には日の丸の小旗が振られていました。オリンピックは、どんな時代においてもあらゆる年齢の人たちにも等しく、改めて国を感じる機会となっているような気がします。私自身もメダリストたちの背後に日の丸が揚がるたびにうれしい気もちになりました。”ガンバレ、ニッポン!!”当たり前のように声に出していました。
そんな熱気も冷めやらぬ同じTV画面に、はるか遠くから痛ましいニュースが飛び込んできました。日本女性ジャーナリストが、銃撃戦に巻き込まれて命を落としたということでした。オリンピックの興奮からは一気に覚め、改めて戦争が終わっていない地球の状況を想わずには居られませんでした。しかも彼女が、故郷山梨の方であったというのも、とても身近に感じられ、同じ娘を持つ親として娘さんを亡くされたご家族の悲しみを深くしました。彼女が選んだ道が過酷であればある程にご家族は彼女を信じ続けたのではないでしょうか。そして、その偉業に哀しくも誇りに思われたに違いありません。
この絵本は、「日・中・韓平和絵本」として2005年に日本の作家が呼びかけ、以後6年間の真剣な話し合いによって実現に向かい、昨年4月からシリーズ化されたとの事です。作者の田島さんは「1962年、私家版『しばてん』(1971年偕成社から出版)を出してから、今年でちょうど50年。この絵本を描き上げたとき、ぼくは50年間、この絵本をつくるためにここまで歩いてきたんだと気づいた。 絵本というメディアでなければできない絵本ができたと思っている。」と刊行によせて語られています。ページをめくるたびにその田島さんの生きざまの様な、命にむかう力強く温かな絵筆の流れが目に焼き付きます。現在、日・中・韓の3国の間では様々な問題が生じています。でも、三国の間でも、こうして平和を願う絵本作家たちの思いは皆同じはずです。
―ぼくたちの すがたは だれにも みえないけれど、あなたに つたえたい。
ひとが ひとを ころす せんそうの こと。
あなたと おなじように いきていた ぼくたちの こと。
ぼくの こえ が きこえますか。―
(赤鬼こと山ア祐美子)
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