学校法人 聖愛幼稚園
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赤鬼からの手紙(2012年2月号)



『 おにたのぼうし 』

あまん きみこ / 文

いわさき ちひろ / 絵

ポプラ社 / 出版

1,050円(税込)

   今年は雪深い2月を迎えました。例年にないほどの大雪に見舞われた各地の様子が、連日のようにニュースに流れてきます。 この冬は雪化粧がなかなかみられないといぶかしげに囁かれた富士山も、すっかりいつもの綿帽子をかぶりました。 こんなあたり一面真っ白ななかを、今年も鬼たちは迷わずに山から下りてきてくれるでしょうか・・・鬼たちに会えるのは一年に一度、ところが物置小屋の天井に住みついていた鬼の子がいたらしいのです。 ある節分の晩のこと、鬼の子にはこんな事があったそうです。

せつぶんの よるのことです。
まことくんが、げんきにまめまきをはじめました。ぱら ぱら ぱら
「ふくはー うち、 おにはー そと。」
「そうだ、ものおきごやにも、まかなくっちゃ。」
まことくんの ものおきごやのてんじょうに、きょねんのはるから、
小さなくろおにのこどもがすんでいました。
おにた というなまえでした。おにたは きのいい おにでした。
はずかしがりやの おにたは、みえないように ようじんしながら 
まことくんをよろこばせるために、いろんなことをしました。
まことくんの まめまきの おとをききながら、
(にんげんって おかしいな。おには わるいって、きめているんだから。
おににも、いろいろ あるのにな。にんげんも、いろいろ いるみたいに。)
そして、ふるいむぎわらぼうしを かぶりました。つのかくしの ぼうしです。
こうして、かさっとも おとをたてないで、おにたは、ものおきごやを でていきました。

こなゆきが ふっていました。(いいうちが ないかなあ。)
どの うちも、ひいらぎのはをかざっているので、はいることができません。
ひいらぎは おにのめを さすからです。やっと、トタンやねの ちいさないえを みつけました。
(こりゃあ、まめの においがしないぞ、しめた。ひいらぎも かざってない。)
いえにはおんなのこと、そのこのおかあさんがすんでいました。おかあさんはびょうきでした。
てんじょうのはりのうえから ふたりのようすをみていたおにたは、
おかあさんのかんびょうをするおんなのこをよろこばせてやりたいとおもいました。
さて、おにたとおんなのこは どうしたでしょう・・・

   この季節になると、「おにたのぼうし」はいつも本棚からこちらをみているようなきがします。 でも、なかなかご紹介できませんでした。 麦わら帽子で角を隠した"おにた"の目があまりに寂しそうで、表紙を見るたび、 今でもいたたまれない気持ちになります。節分といえば、私の母は必ず子供たちに、 "庭から柊の枝を取っておいで"と声をかけ、柊の葉を火であぶり、焼いた鰯の頭をちぎって、 枝にくくりつけて左右の門柱に飾っていました。 パチパチと炎に焼かれる柊のとげの音と鰯の油のにおいがすると、いよいよ今年もはじまるなとおもったものです。 そして近所の大神宮からは、鬼にふんした大人たちが繰り出して大声をあげては家々を回りました。 "悪い子はいないか〜!"子供たちは、こたつの中に逃げ込んだり、押し入れに入ったままでてこなかったり、 それはそれは大騒ぎの一夜になりました。 父は大神宮でのお役目があり、装束にきがえて早くから詰め所に待機していましたから、 鬼が来ても父を頼る事ができません。 鬼にふんした大人たちの"ウオ―ウオー"という声がだんだん我が家に近づくと、 必死になって隠れ場所を探しました。節分には、そんな家族との大切な思い出があります。 大人になって、絵本に囲まれながら、鬼たちを想う日々の中で、私は鬼の姿は人間への鏡の様な気がしています。 "おにた"の真意をどうわかろうとするか、どう受け止められるか、 それは人との絆を想うことになるのでしょう、黒豆を煮ると"おにた"はどうしているだろうと、 ふと思います。

(赤鬼こと山ア祐美子)


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