2012年の幕開けです。
其々の人々にとって様々な想いを抱えた2011年は去っていきました。
時だけは等しく私たちに確実に巡ってきます。
抱えきれない悲しみや辛さも時が変えてくれることもあります、でも失った多くの命にだけは二度と出会う事はできません。
残された私たちは、その命の魂の声に耳を傾ける事から新年の扉を開けていきましょう。
今年の干支は辰。悲しみを抱え辛さを抱え、こらえてこらえて天に昇った竜のお話です。
竜が伝えたかった魂の声を聴いて下さい。
むかし、あるところに一匹の竜がすんでいました。
力がひじょうに強く、かたちもたいそうおそろしく、それにはげしい毒ももっていましたので、あらゆるいきものが、この竜にあえば弱いものは目にみただけで気をうしなってたおれ、強いものでもその毒気にあたって、まもなく死んでしまうほどでした。
この竜はあるとき、よい心を起こして、これからはもう悪いことはしない、すべてのものをなやまさない、とちかいました。
そして、静かなところをもとめて林の中入ってじっと道理を考えていましたが、とうとうつかれてねむりました。・・・
蛇の形になってねむる竜のからだには、きれいなるり色や金色の紋があらわれていました。
そこへ、猟師どもがきて「こんなきれいな珍しい皮を、王様にさしあげてかざりにしてもらったらどんなにりっぱだろう」と、刀でその皮をはぎはじめました。竜は目をさましてかんがえました。
「おれの力はこの国さえもこわしてしまえる。この猟師なんぞはなんでもない。いまおれがいきをひとつすれば毒にあたってすぐ死んでしまう。けれども私はさっき、もうわるいことはしないとちかったし、この猟師をころしたところで本当にかわいそうだ。もはやこのからだはなげすててこらえてこらえてやろう。」
すっかりかくごがきまりましたので目をつぶって、いたいのをぐっとこらえ、またその人を毒にあてないようにいきをこらえて、一心に皮をはがれながらくやしいという心さえもおこしませんでした。竜はいまは皮のない赤い肉ばかりで地によこたわりました。・・・
竜はどうなっていったのでしょうか・・・
−このはなしはおとぎばなしではありません。− 賢治
見開きにあるこの一行から、お話が始まっています。絵本を手にして表紙を開いたとたんに、すでに読者の心が研ぎ澄まされていくのを感じます。
キャンバス地に叩きつけられるように描かれた竜の迫力がさらに迫ってきて、皮を剥がれた竜のあらわになった肉の赤さがその痛みを伝えます。
賢治の作品の表現の一つとして"自己犠牲"にあるとよく言われますが、末尾にある花岡大学さんの言葉の様に、それは単に"自己犠牲"ではなくすべては賢治の中にある"やさしい心"からの発信です。
賢治の"やさしい心"は自分を他者に差し出すことで初めて形になっていく、相手をどう理解し、どう受け止め、何が一番求められているのか、自分は何ができるのか、賢治の"やさしい心"は瞬時にそのすべてを選択します。
二度と帰ってこない命の魂は、何を伝えているのか、竜の気持ちに沿う事で私たちも向き合って行かれたらと思います。
あなたにとっても、そして、あなたにつながるすべての人にとっても、2012年が素晴らしい日々である事を願いつつ・・・
(赤鬼こと山ア祐美子)
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