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認定こども園 聖愛幼稚園

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書き下ろし連載132
足りないだけではない
ルカ福音書6章20−23節

細井保路

貧しい人々は、幸いである。神の国はあなたがたのものである。
今飢えている人々は、幸いである。あなたがたは満たされる。
今泣いている人々は、幸いである。あなたがたは笑うようになる。
人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。 その日には、喜び踊りなさい。天にはおおきな報いがある。この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。

   いつも何かが欠けていて、捨てるべきもの、守るべきものがない状態を、私たちは幸せだとは思えません。蓄えがあることや、大切な人がいることは、私たちが生きる上で大きな支えになっているからです。しかし、元気でいるのが当たり前だと思っている人が、ちょっと体調を崩したときに初めて健康のありがたさに気づくように、自分が大切だと思っていること以外何も目に入っていないような状態が続くと、もっと大きな幸せに気づき損ねてしまうということがあるとイエスさまは言われているのです。

   経済的な安定こそ第一だと考えるのは、間違いではないけれど、何が何でもそれを最優先すれば、もっと大切な何かを失うかもしれません。健康が第一ということも誰も否定しませんが、自分の体のことだけ気遣って心の豊かさを置き去りにしてしまうのは悲しいことです。「自分は損しない」「自分は負けない」「自分は泣かない」と頑張り続けているうちに、やさしさを忘れてしまうのは残念です。

   人の心のあたたかさや優しさは、本当はシャワーのように私たちに注がれているのに、何かが欠けていると思い込み、それにこだわり、追い求め、見当違いな努力を重ねるうちに、当たり前の幸せが見えなくなってしまわないようにしたいものです。足りないものを手に入れるのが間違いなのではなく、足りないものに気づいたら、それ以外のたくさんのものによって満たされていることにも気づくことが大事なのです。


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