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認定こども園 聖愛幼稚園

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書き下ろし連載129
思いやり
ルカ福音書5章18−23節

細井保路

   男たちが中風を患っている人を床に乗せて運んで来たが・・・群衆に阻まれて、 運び込む方法が見つからなかったので、屋根に登って瓦をはがし、人々の真ん中のイエスの前に、病人を床ごとつり降ろした。 イエスはその人たちの信仰を見て、「人よ、あなたの罪は赦された」と言われた。 ところが、律法学者たちは考え始めた。「神を冒涜するこの男は何者だ。いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」 イエスは、彼らの考えを知って、お答えになった。「何を心の中で考えているのか。『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。」

   イエスさまが病人を癒やされる話です。しかも、病人をなんとかイエスさまに会わせようとする男たちは、人の家を平気で壊したりするのです。私たちの日常や常識からかなり遠く離れた話のように思えます。でも、このエピソードの中でのイエスさまの言葉には、はっとさせられます。

   私たちは、歩けない人に向かって「起きて歩け」というようなことを言っていないでしょうか。問題を抱えている人に出会うと、簡単にその人の責任だとして済ませていないでしょうか。イエスさまは、苦しんでいる人を見たら、まず「ゆるされている」と言えとおっしゃるのです。「あなたはゆるされている」と伝えることはつまり、あなただけの責任ではない、あなたのことを責める前にまず受け入れたいと思う、あなたはこの苦しみから救われる権利がある、というようなメッセージを送ることです。それは必ずしも言葉にならなくてもいいのです。動けずに立ちすくんでいる人に「勝手に歩け、さっさと歩け」と言って蹴飛ばすようなことをしないだけでいいのです。人を思いやる気持ちを忘れなければいいのです。しかし、気がつくと私たちは、簡単に思いやりを捨てています。自分の都合を最優先しがちです。子育ては、親の都合を最優先しないということであるはずです。


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