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書き下ろし連載125
見落としている世界
マルコ福音書12章10−11節

細井保路

   「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える。」

   この言葉は、旧約聖書の「詩編」という祈りの書物の中に出て来る言葉です。「隅の親石」とは、家を支える重要な石という意味です。つまり、人が無価値だと思って無視したものでも、神さまの前ではとても重要な意味を持つということになります。逆さまから言えば、私たちには、すばらしいものが見えていないかも知れないということです。

   私たちは、自分に見えないもの、理解できないものを存在しないかのように無視して生きています。つまり、自然界の大部分を無視して生きているのです。しかし、実は私たちはその自然界の一部であり、太古の昔から、進化の過程の遠い記憶までも包み込んだ、この世界の構成要素のひとつなのです。たとえば、普段の生活でバクテリアのお世話になっているのだけれど、見えないのでほとんど意識さえしません。そういうことに気づいたなら謙虚にならずにはいられません。春を迎える自然界の様々な営みに目を向けてみましょう。私たちのちっぽけな理屈や感情や思惑などではとても太刀打ちできない命の輝きを目の当たりにすることができます。私たちは、私たちの文化に縛られ、自然界の豊かさのほんの一部を見ているに過ぎないのです。

   もちろん、イエスさまが詩編118番の中の句を引き合いにだしたのは、神の愛を語るご自分のメッセージが、時の指導者たちには理解できず、受け入れられず、排斥されてしまうということを語るためでした。しかし、この大昔の詩からもっと広い意味を読み取ることがゆるされると思います。

   大切な価値あるものを見落としているかも知れないこと、普段意識にのぼらない様々なものの営みや、一見無関係に思える人たちとも、どこかで深く結びついていることを、時々思い出してみるのは大事なことだと思います。


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