「イエスは座って、12人を呼び寄せて言われた『いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。』そして、一人の子どもの手を取って彼らの真ん中に立たせ、抱き上げて言われた。『わたしの名のためにこのような子どもの一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしなった方を受け入れるのである。』」
「仕える者になる」という精神は、特に人の上に立つ立場の人には、大切なものです。わたしたちは、ついつい自分を何か偉い者であるかのように考えたくなるからです。しかし、わかってはいても、「仕える者になる」というのは、そんなに簡単ではありません。どんなに偉くなっても謙虚な人というのは素晴らしいですが、イエスさまは、謙虚な人になるよう努力しなさいと言っているのではなくて、自分が偉いと勘違いして人を見下した途端に、自分に注がれているあわれみ深い神の眼差しを見失ってしまうということを警告しているのです。
そして、いつでも優しい眼差しに包まれていることを感じていられる唯一の方法は、優しい眼差しで人に寄り添うことしかないのだと教えられるのです。小さな子どもに寄り添って、優しい眼差しを注ぐとき、もっと大きな温かい眼差しが、その子とわたしの両方を包み込むようにして注がれていることを感じるのです。自分が優しい眼差しを誰かに向けるとき、相手に対する愛おしさだけでなく、もっと大きな幸せを感じるはずです。
たとえば、子どもに絵本を読んであげるとき、わたしたちは、何層にも重なる温かい眼差しを感じることができるはずです。絵本の登場人物たちの眼差し、それに寄り添うわが子の眼差し、その膝の上のわが子に注がれた私の眼差し、そしてその空間すべてを包み込む何か大きな温かい眼差し。いつも自分の頭上に温かい眼差しを感じながら生活してみましょう。
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