学校法人
認定こども園 聖愛幼稚園

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書き下ろし連載117
命の輝き
マルコ福音書9章2−8節

細井保路

   「イエスはペトロとヤコブとヨハネを連れて、高い山にお登りになった。そこには彼ら4人しかいなかった。その時、弟子たちの目の前でイエスの姿が変わり、その衣はまっ白に輝いた。その白さはこの世のいかなる布さらしでもなしえないほどのものであった。・・・すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声が聞こえた。『これはわたしの愛する子。彼に聞け』。弟子たちは急いで、辺りを見回したが、自分たちと一緒におられるイエスのほかには、誰も見えなかった。」

   たった一度、イエスさまが、とんでもなく神々しく見えたことを弟子たちは伝えています。しかもそれは、イエスさまが堂々と語っている時でもなく、華々しく活躍している時でもなく、数人でひっそりと祈っている時のことでした。私たちは、過去の歴史や、周りの社会や、与えられた環境を背負って生きています。ふだんはその中に埋没して暮らしているのですが、その背負っていると感じているものに、実は支えられているのだということに気づくことがあります。さらに、私たちを支えている社会や自然や過去の歴史が、ふわりとその人の存在を包んでいるように感じるときがあります。その人が偉業を成し遂げたとか、威厳のある姿であらわれたとかいうのではなく、むしろ、環境に支えられた小さな存在であるにもかかわらず神々しく見える瞬間というのがあるものです。

   カトリック教会では、日曜日の礼拝であるミサのときに、最後の晩餐をかたどって、パンを配りますが、そのパンを頂くために祭壇にやって来る人たちを見ていると、一人ひとりにその人の人生があり、社会に自然環境に歴史に包まれ、押し出されるようにして前に進み出て来るのだと気づき、まさにその一人ひとりに向かって神さまが「これはわたしの愛する子」と言っておられるのだと感じると、感動で涙が出そうになります。

   お子さんの寝顔を見ているときなどに感じるいとおしさを大切にしましょう。


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