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認定こども園 聖愛幼稚園

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書き下ろし連載115
ゆるし
マルコ福音書7章24−30節

細井保路

   「イエスは言われた。『まず、子どもたちに十分食べさせなければならない。子どもたちのパンを取って、小犬にやってはいけない。』ところが、女は答えて言った。『主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子どものパン屑はいただきます。』そこで、イエスは言われた。『それほど言うなら、よろしい。家に帰りなさい。悪霊はあなたの娘からもう出てしまった。』」

   イスラエル人ではないひとりの女性が、悪霊に憑かれて苦しんでいる我が子を癒やしてくださいと願います。「悪霊に憑かれている」という古代の表現は、何が原因か分からないけれども関わりがうまく持てなくなり、そのためにますます淋しい苦しい状況に追い込まれているような人を指しているのだろうと思われます。その人が癒やされるために必要なのは、誰かが愛してくれることです。しかし、ここでは、母親が本気で我が子を愛しています。それなのに、苦しい状況は続いていたのです。何が足りないのでしょうか。それは、「ゆるす」という心です。本気で愛してはいるけれど、思い通りにならない娘に対していらだちも感じていたはずです。またどこかで、自分が悪いのではないかと自分を責めてもいただろうと思います。そして日々悲しみと疲労だけが積み重なっていたのです。

   その苦しんでいる女性に対して、イエスさまは初めは冷たい態度をとられます。「小犬にはパンはやらない」というのは、「私には今もっと大事なことがあって、あなたと関わってはいられない」と言っていることになります。しかし彼女は、「こんな私でも神さまのあわれみを受ける資格はあります」と食い下がるのです。図らずも自分の言葉で、「私も神の恵みをいただくことがゆるされている」と言ったのです。「ゆるす」というのは、ミスを帳消しにするというような軽い意味ではなく、「そのままで受け入れられる」ということです。彼女は自分の口から出た言葉でそのことに気づくのです。その瞬間に我が子をも「そのままで受け入れる」ことができ、そこに癒やしが実現したという話なのです。


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