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書き下ろし連載112
帰る場所
マルコ福音書5章1−20節

細井保路

   「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐み、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい。」

   これは、汚れた霊に取りつかれたと言われていて人が、イエスさまに癒していただき、一緒について行きたいと願ったときにイエスさまが言われた言葉です。

   とても奇妙な話で、この汚れ霊に取りつかれた男は、墓場に住んでいました。そして、イエスさまがその男から悪霊を追い出すと、そばにいた豚の大群が湖に飛び込んで死んでしまったというのです。死んでしまった豚の群れは、居場所を追われ、居場所を失った者の苦しみを象徴しているかのようです。それは、言い換えれば、人は居場所を見つけることができれば、誰もが安心できる場所、帰る場所を持っていれば、「悪霊」と呼びたくなるようなものは生まれてこないということでもあるのです。一見、未開の古代社会の作り話のように思えるエピソードですが、形を変えて、いつの時代も、帰る場所を追われた者、安らぐ場所を持てない者の苦しみはなくならないのです。その事実から気づくべきことがあります。人は、誰かに受け入れられ、愛され、ゆるされ、信頼されていたら、つまり、自分の居場所を持っていたら、それこそが救いだということです。

   そんなことは、夢物語のようなものだと言う人もいるかもしれません。イエスさまは、それは夢ではないと告げたかったです。そしてそれを、「神がゆるし、愛してくださっている」という表現で伝えようとされたのです。

   だから、癒された男は、辛いけれども、まず自分を追い立てた人たちのところに帰る必要があるのです。本人は、このままイエスさまについて行ってしまいたいのだけれど、まず自分の仲間のところに戻って、そこにもちゃんと神さまが与えてくださった居場所があることを確認しなければならないのです。

   私たちはお互いに、相手が安らぐことのできる居場所を用意できるようにしたいものです。


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