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認定こども園 聖愛幼稚園

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書き下ろし連載110
ラッピング
マルコ福音書4章30−32節

細井保路

   「神の国は、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」

   小さいもののたとえとして、聖書では「からし種」が登場しましが、日本語には、「けし粒ほどの」という言い方があります。どんな小さなものの中にも、神の命が宿っているということを、イエスさまは伝えたかったのです。成長すれば、確かにそのものが持っている本来の姿を現わすわけですが、全貌が明らかになるまでもなく、時の流れの中での変化にもかかわらず、すべてのものには神が与えてくださった命が宿っているのです。そこにあるものの尊さ、そこに働く力のありがたさに気づくなら、そこにこそ神の国がある、神さまが共にいてくださる世界がすでに始まっているというのです。

   では、どうしたら目の前の世界のすばらしさに気づくことができるのでしょうか。私たちは、私たちを取り巻く環境のすばらしさよりも、問題点や欠けている点ばかりが見えているのではないでしょか。不安な気持ちで過ごしていたのでは、目の前に素晴らしい世界があると言われても納得することはできません。ほんの僅かでも、人の心の優しさや温かさや安心感に包まれているという実感がなければ、私たちは「この世界はすばらしい」と感じることはできないのです。まして、私自身の内にすばらしい力が与えられていると気づくこともできません。それが可能になるためには、まず、温かく私を包む環境が必要なのです。わが子が、自分の内にある神からいただいた宝に気づくためには、周囲の大人の優しさがどうしても必要なのです。

   それはちょうど、プレゼントが美しい包装紙やリボンでラッピングされているようなものです。贈る人の思いや、贈った物の価値を伝えるラッピングのように、私たちは、わが子が自分に与えられた人生のすばらしさ気づくための、温かい環境でありたいと思います。


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