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書き下ろし連載109
一人ひとりはともしび
マルコ福音書4章21−22節

細井保路

   「ともし火を持って来るのは、升の下や寝台の下に置くためだろうか。燭台の上に置くためではないか。隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、公にならないものはない。」

   スイッチひとつで、夜でも明るい部屋で過ごすことができる生活をしている私たちは、風が吹けば消えてしまうような、小さな炎を見つめるというようなことをしなくなりました。イエスさま、貴重なともし火を一人ひとりの人間の存在と重ね合わせて語っておられます。

   小さなともし火でも、ふさわしい場所に置けば、暗闇を隅々まで照らします。そのためにこそ、ともし火を灯すのだから、わざわざそれに覆いをかけるようなおかしなことをする人はいません。そうであるならば、私たちも、お互いに、相手の存在が生かされるようにという願いをもって接することが大事なのです。人には皆本来、まわりを照らす光がその存在の中心に備わっているのだということを忘れてはなりません。

   一方的に子どもに要求ばかりをしていると、その子が持っている輝きが見えなくなってしまうことがあります。それは、子どもにとって不幸であるだけでなく、その子どもの持っている光に照らされて見えて来る周囲の美しい光景さえも見えなくしてしまうのです。子どもの周囲にいて、真っ先に照らしてもらえるのは、子育てをしている親自身です。

   我が子の内にある輝きを見つけて、得意になるのではく、その輝き認めることができる幸せを喜ぶべきです。わが子を自分の理想と比べてダメだと決めつける前に、そこにある命の輝きに目を見張ることを忘れてはなりません。そして、実は、親である私たち自身も、輝きを見つけてもらった子ども時代があったことを忘れてはなりません。もちろん今も、周囲を明るく照らす炎は私たちの内に備わっているはずです。


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