「イエスは・・・シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのをご覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、『わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう』と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。」
イエスさまは、ガリラヤの湖で漁師をしている人たちに、「私について来なさい」と声をかけました。シモンは後にペテロと呼ばれる弟子です。彼らが漁師だったので、「これからは魚ではなくて人間を集めよう」と言われたのです。人を神さまのところへ集めようというのが、イエスさまの願いであったのです。
言い替えれば、誰もが神さまに生かされていることを思い出してほしいと願っていたのです。「生かされている」という実感が深ければ、人は感謝の心を豊かに持つことができます。誰もが神のいのちの内に存在すると気づけば、人に対してもっとやさしくなることができます。イエスさまは、深い感謝の念と、人に尽くすやさしさを弟子たちに示すことによって、「生かされている」と誰もが思える世界を実現したいと願ったのです。
いい思いをして有頂天になっている人のような喜びではなくて、生かされていることを実感している人の喜びは、もっと静かで深いものです。イエスさまに声をかけられた弟子たちは、イエスさまの内に満ちている深く静かな喜びに気づいたのだと思います。それは、今の生活を投げ打ってでもついて行きたくなるような出会いであったのです。
こんな刺激的な出会いは、めったにあるものではありません。しかし、親の恩を思うこと、日々の食事のときに「いのち」をいただいていることを思い出すこと、人の支えや励ましに感謝することなどを通して、私たちは、いつでも「生かされている」ことを実感できるのです。大人の私たちが感謝と喜びのある生活を築くことによって、子どもたちに、この喜びを伝える役割を果たしていきたいものです。
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