「イエスは・・・ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。水の中から上がるとすぐ、天が裂けて、霊が鳩のように御自分に降って来るのをご覧になった。すると、『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』という声が、天から聞こえた。」
洗礼というのは、水をかぶる儀式です。水をかぶる時に、着飾っていたり、大切な物を抱えていたりすれば、それも一緒に濡れてしまいます。つまり、自分がとらわれていることや、こだわっているものを手放す儀式だと言えます。目先のことに心を奪われ、心の目を塞がれた状態から解放されたとき、わたしたちは、忘れかけていた大切なことをもう一度見つけることができるのです。
大切なこととは、「あなたは私の愛する子」という神さまからのメッセージです。言いかえれば、人は誰ひとり例外なく、幸せになるために生まれてきたということです。自分の幸せに気づくこと、人の幸せを願うこと、それこそが、大切な、忘れてはならないことなのです。
イエスさまの生涯は、御自分がどんなときにも感じているこの思いを伝え、誰の心にも種のように播かれているこの思いを呼びさますことに捧げられたのです。
「あなたは私の愛する子だ」「あなたが大好きだ」というメッセージは、いつの時代にも、人の心の中で鳴り響いているはずです。しかし、その思いを本当に大切にする人がいない限り、はっきりと聞こえてこないのです。イエスさまの洗礼のエピソードは、ついにこのことをはっきりと宣言する方が現れたというふうに受け止めることができます。そして、忘れてはならないのは、この幸せのメッセージをしっかりと聞く人が必要だということです。わたしたちが、その「聞く人」になることこそが大事なのです。「聞く人」を通して、メッセージは他の人に伝わっていくのです。親がまず心に幸せの種をしっかり持つならば、子どもにそれが伝わるということを、確信しましょう。
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