「わたしは道であり、真理であり、命である。」とイエスさまはおっしゃいました。
「道」という言葉を聞くと、私たちは、長くて険しい道を思い浮かべがちです。
しかし、一番短い簡単な道、つまり「近道」も道なのです。神さまが望まれることを最優先して生きた人がイエスさまであるならば、まさに、イエスさまが言われるとおり、「わたしを知っているなら、既に天の父を見ている。」ということになるのです。
弟子たちは、イエスさまに出会うことで、神さまは、こんなに近くにいてくださる、と感じたのです。
その感覚こそが、私たちが生きる上で大切なことなのです。
神さまを身近に感じるということは、生かされている、守られている、祝福されていると感じながら生きることです。
この安心感を出会う人たちに伝えることが、イエスさまの願いであったのです。
そして、そのイエスさまに出会った弟子たちがまた、それを多くの人に伝えようとしたのです。
キリスト教が伝わることが大事なのではなくて、神の祝福の内に生きているという感覚が伝わることが大事なのです。
そしてそれは、通常、親から子へと伝えられていくものです。
だから、まず親が大きな安心感の内に生活していなければなりません。
そうでなければ、子どもに安心感を伝えることはできないからです。
「大丈夫」とわが子に言ってあげられるように心がけましょう。
そのためには、まず自分のコンディションを整えておく必要があります。
不安や疲労や焦りがあるならば、まず自分自身に「大丈夫」と声をかけましょう。
大きな力に包まれているという安心感を手に入れましょう。
そしてそれを子どもに伝えるためにこそ、親としての自分がいると考えてみましょう。
イエスさまはまた、「父の家には住むところがたくさんある。」ともおっしゃいました。
人生のゴールは神さまの懐だというのです。
そうであるなら、そこにたどり着くまでの道の途中も神さまが祝福してくださった居場所なのです。
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