イエスさまが弟子たちと別れの食事をした「最後の晩餐」は、ダ・ヴィンチの絵などで有名ですが、その食事の初めに、イエスさま自らが弟子たちの足を洗ったというエピソードは、あまり知られていません。
当時のイスラエルでは、招待された客は出かける前に体を洗い、席に着く前に改めて足だけ洗う習慣があったそうです。
イエスさまは突然、まるでその家の召し使いのように、弟子たちの足を洗い始めたのでした。
びっくりした弟子たちが辞退しようとすると、イエスさまは次のように言われました。
「師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。わたしがあなたがたにした通りに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。」
そしてさらに、「遣わされた者は、遣わした者にまさりはしない。このことが分かり、その通りに実行するなら、幸いである。」と言われました。
この世に私たちを「遣わした者」とは、もちろん神さまのことです。つまり、神さまのもとでは、誰もが例外なく「遣わされた者」であり、そのことが分かっていれば、謙虚に人に仕えても自分の価値が下がることなど決してないばかりか、お互いの尊厳を高めるためには、進んで相手のためを思う行動をとるべきなのです。
私たちにとって、自己肯定感、つまり良い意味のプライドはとても大事なものです。それは、誰かに大切にされることで芽生え、誰かのために働くことで育つものです。強引に自分を認めさせることによって得られるものではなく、むしろ、「神さまが自分をここに置いてくださった。遣わしてくださった。」という実感によって裏打ちされるものなのです。
イエスさまは、突然の奇妙な行動によって、弟子たちにこのことを深く印象づけられました。新しい年の初めに、もう一度、私たちが家族の一員としてお互いの素晴らしさを認め合えるように心掛けましよう。
戻る